Honda Stories

 

モータースポーツ・スポーツ 2024.04.04

《Honda F1参戦60周年》日本グランプリ前に、後世まで受け継がれる名勝負・名ドライバーを振り返る

《Honda F1参戦60周年》日本グランプリ前に、後世まで受け継がれる名勝負・名ドライバーを振り返る

2024年の「F1™世界選手権」でF1参戦60周年を迎えたHonda。4月5日に開幕する日本グランプリを前に、初参戦となった1964年のドイツグランプリから現在までの60年間を振り返ります。アイルトン・セナ、中嶋悟、佐藤琢磨ら名ドライバーの走りは多くの人に感動をもたらしました。さらに記事終盤では、F1ドライバーや世界中のファンにとって思い入れのある場所である鈴鹿サーキットにオープンする「Honda RACING Gallery」をご紹介します。

【第1章】自動車をやる以上、一番困難な道を歩く(1964年〜1968年)

「できるかできんかわかんねえけど、俺はやりてぇよ」
本田宗一郎が挑んだのが、四輪レースの最高峰F1™世界選手権でした。

1964 レースをやらなければクルマはよくならない

まだ日本ではF1という言葉すら知られていない、1962年。宗一郎の熱烈な想いが原動力となり、一台もクルマを販売したことがない二輪車メーカーの無謀とも言える挑戦は始まりました。

Hondaは当初、エンジン供給メーカーとしての参戦を計画していましたが、シーズン開幕直前の1964年2月、供給を予定していたイギリスの強豪チームから突然の契約破棄を言い渡されます。しかし、技術陣に参戦を中止する意思はありませんでした。急遽、シャシー(車体)開発を開始し、わずか6ヶ月後、1964年8月のドイツグランプリにて初参戦を果たします。

そして参戦2年目の1965年。最終戦メキシコグランプリにて、エンジン、シャシーともに純粋なHonda製マシンで、初優勝という快挙を成し遂げます。

Honda初のF1マシン「RA271」。 F1挑戦への歴史はこの瞬間から始まった Honda初のF1マシン「RA271」。 F1挑戦への歴史はこの瞬間から始まった
2024年3月1日(金)にリニューアルオープンした、ホンダコレクションホールには歴代のレーシングマシンが展示される。F1初参戦の翌シーズン(1965年)のメキシコグランプリにて初優勝をもたらした「RA272」も並ぶ 2024年3月1日(金)にリニューアルオープンした、ホンダコレクションホールには歴代のレーシングマシンが展示される。F1初参戦の翌シーズン(1965年)のメキシコグランプリにて初優勝をもたらした「RA272」も並ぶ

【第2章】レースの世界へ、再び(1983年〜1992年)

市販四輪車の開発に注力するため、一時レースの世界から身を引いていましたが、再び世界最高峰の舞台に挑戦し、人と技術を磨いていきます。

1983 技術力を勝利で証明する

最高の技術と挑戦の志を、多くの人に見てもらいたい、そして楽しんでもらいたい。1983年、Hondaは15年ぶりにF1への復帰を果たし、二度目の挑戦がスタートします。

翌1984年に復帰後の初勝利を挙げると、1986年にコンストラクターズタイトル(※)を獲得。さらに1987年にはドライバー、コンストラクターのダブルタイトルを手にします。
1988年には開幕11連勝し16戦中15勝。レーシングドライバーのアイルトン・セナ、中嶋悟をはじめレースに関わる全ての人々の情熱と革新的な技術開発により、1992年で活動を休止するまでの10年間で通算69勝、5年連続ダブルタイトル獲得といった金字塔を打ち立てました。

※マシンを製造したチーム(コンストラクター)に贈られるタイトルで、ドライバーの成績とは別に各チームの合計ポイントによって決定される

アイルトン・セナ ワールドチャンピオンを3度獲得したブラジル出身のレーシングドライバー。1984年にイギリスのトールマンでF1デビューを果たし、ロータス、マクラーレン、ウィリアムズと名門チームを渡り歩いた。1994年のサンマリノグランプリでのレースアクシデントにより、34歳という若さでこの世を去った。 アイルトン・セナ(左)

アイルトン・セナ
ワールドチャンピオンを3度獲得したブラジル出身のレーシングドライバー。1984年にイギリスのトールマンでF1デビューを果たし、ロータス、マクラーレン、ウィリアムズと名門チームを渡り歩いた。1994年のサンマリノグランプリの事故により、34歳という若さでこの世を去った。

 

中嶋悟 1973年の鈴鹿シルバーカップでプロドライバーとしてデビュー。1984年、Honda F1のテストドライバーとなり、1987年にLotus HondaのドライバーとしてF1にデビュー、日本人初のフルエントリーを果たした。1991年にレーシングドライバーを引退。その後はチーム監督として、全日本スーパーフォーミュラ選手権やSUPER GTなどのレースに参戦

中嶋悟
1973年の鈴鹿シルバーカップでプロドライバーとしてデビュー。1984年、Honda F1のテストドライバーとなり、1987年にLotus HondaのドライバーとしてF1にデビュー、日本人初のフルエントリーを果たした。1991年にレーシングドライバーを引退。その後はチーム監督として、全日本スーパーフォーミュラ選手権やSUPER GTなどのレースに参戦。

 

HondaのV6ターボエンジン「RA168E」を搭載した「McLaren Honda MP4/4」は1988年シーズンで16戦15勝という圧倒的な強さをみせつけた HondaのV6ターボエンジン「RA168E」を搭載した「McLaren Honda MP4/4」は1988年シーズンで16戦15勝という圧倒的な強さをみせつけた
HondaのV6ターボエンジン「RA168E」 HondaのV6ターボエンジン「RA168E」
ホンダコレクションホールに並ぶ「McLaren Honda MP4/6」と「McLaren Honda MP4/4」 ホンダコレクションホールに並ぶ「McLaren Honda MP4/6」と「McLaren Honda MP4/4」

【第3章】あくなき最高峰へのチャレンジ(2000年〜2008年、2015年〜)

1992年のF1撤退以来、8年の時を経てワークスチームとして復帰したHonda。そして、2015年からパワーユニットサプライヤーとしてのF1再挑戦。いつの時代も、Hondaは最高峰へ挑戦することで、人と技術を研鑽していきます。

2006 勝てないという苦難を超えて

車体とエンジンの開発・製造・チーム運営までを含めた総合的なレース活動を行うことを目指し、2000年、HondaはF1へ復帰します。B・A・R(British American Racing)へのエンジン供給および車体の共同開発という新たなスタイル。

2003年の最終戦からは、ジェンソン・バトンと佐藤琢磨の2名体制で戦いました。2004年にはコンストラクターズランキング2位を獲得、そして2006年にはHonda単独のHonda Racing F1 Teamとして参戦。第13戦ハンガリーグランプリで悲願の復帰後初優勝を果たしました。

佐藤琢磨 2001年イギリスF3チャンピオンに輝き、翌2002年F1デビュー。2004年には3位表彰台を獲得。後に米国に活躍の場を移し、2017年に日本人初となるインディ500優勝、2020年に2度目の優勝。2019年よりHRS(当時、鈴鹿サーキットレーシングスクール)プリンシパルに就任。2024年はHRCのエグゼクティブ・アドバイザーを務める一方、3度目のインディ500制覇に向けてRahal Letterman Lanigan Racing(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)からチャレンジ。

佐藤琢磨
2001年イギリスF3チャンピオンに輝き、翌2002年F1デビュー。2004年には3位表彰台を獲得。後に米国に活躍の場を移し、2017年に日本人初となるインディ500優勝、2020年に2度目の優勝。2019年よりHRS(当時、鈴鹿サーキットレーシングスクール)プリンシパルに就任。2024年はHRCのエグゼクティブ・アドバイザーを務める一方、3度目のインディ500制覇に向けてRahal Letterman Lanigan Racing(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)からチャレンジ。

 

2004年シーズンに登場したB・A・R Honda 006は、年間を通してトップ争いに絡む高い戦闘力をみせた 2004年シーズンに登場したB・A・R Honda 006は、年間を通してトップ争いに絡む高い戦闘力をみせた
バトン初優勝時のHonda Racing F1 Team バトン初優勝時のHonda Racing F1 Team

2021 Hondaの力を結集して掴んだ勝利

2008年にF1から撤退していたHondaは、2015年、McLarenとタッグを組みF1へ挑戦します。2018年にScuderia Toro Rosso、2019年にはRed Bull Racingともパートナーを組むと、快進撃が始まります。

2019年オーストリアグランプリ表彰台でのマックス・フェルスタッペン 2019年オーストリアグランプリ表彰台でのマックス・フェルスタッペン

2021年、ついにマックス・フェルスタッペンがドライバーズタイトルを獲得。開発部門や生産部門が持つ知見と技術を最大限に盛り込み、Hondaの力を結集して掴んだ栄光でした。

2021年シーズンの最終戦となったアブダビグランプリでフェルスタッペンは最終ラップで逆転して勝利を挙げ、自身初のワールドチャンピオンに輝いた。Hondaとしては1991年のアイルトン・セナ以来の30年ぶりのタイトル獲得となった。 2021年シーズンの最終戦となったアブダビグランプリでフェルスタッペンは最終ラップで逆転して勝利を挙げ、自身初のワールドチャンピオンに輝いた。Hondaとしては1991年のアイルトン・セナ以来の30年ぶりのタイトル獲得となった。
Hondaのハイブリッドシステム パワーユニット「RA621H」 Hondaのハイブリッドシステム パワーユニット「RA621H」
角田裕毅 2021年、Hondaのドライバー育成プログラム出身者としてScuderia AlphaTauri HondaからF1デビューを果たした角田裕毅。7年ぶりの日本人フルタイムF1ドライバーとなる角田は、入賞7回、最終戦アブダビグランプリでは自身最高位となる4位でレースを終え、ドライバーズランキング14位で1年目のシーズンを終了し、その後もF1レギュラードライバーとして活躍。2024年、母国、日本GPでの入賞に期待。

角田裕毅
2021年、Hondaのドライバー育成プログラム出身者としてScuderia AlphaTauri HondaからF1デビューを果たした角田裕毅。7年ぶりの日本人フルタイムF1ドライバーとなる角田は、入賞7回、最終戦アブダビグランプリでは自身最高位となる4位でレースを終え、ドライバーズランキング14位で1年目のシーズンを終了し、その後もF1レギュラードライバーとして活躍。2024年、母国、日本GPでの入賞に期待。

 

2021年をもってHondaは参戦を終了し、2022年からはOracle Red Bull Racing及びScuderia AlphaTauriのチームパートナーとして、技術支援を行っています。HRCがパワーユニットを製造し、Red Bull Powertrains(RBPT、※)へのパワーユニット供給とシーズンを通したパワーユニット運用のサポートを実施。両チームはHonda RBPT製のパワーユニットを搭載してF1の舞台で戦っています。

2022年~2023年、Oracle Red Bull Racingは2年連続でダブルタイトルを獲得。特に、2023年は22戦中21勝を挙げ、F1史上最高勝率という前人未踏の記録を打ち立てました。両チームとの関係は2025年まで継続が予定されており、角田裕毅はVISA Cash App RB Formula One Teamで、引き続き勝利を目指し戦っています。

※Red Bull Group内でF1向けパワーユニットを製造する会社。現行パワーユニットに関してESS(Energy Storage System)の製造と運用を担う

角田は2021年の最終戦でシーズン最高位の4位入賞。ルーキーシーズンの集大成と言える成績を収めた 角田は2021年の最終戦でシーズン最高位の4位入賞。ルーキーシーズンの集大成と言える成績を収めた

【第4章】世界最高の舞台への挑戦は続く

2026年からHondaはF1に参戦し、 Aston Martin Aramco Formula One® Team(※)(アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ・ワン・チーム)にパワーユニットを供給します。2026年以降のF1のパワーユニットは、100%カーボンニュートラル燃料の使用が義務付けられるとともに、エンジンと電動モーターの出力が同等に。「2050年カーボンニュートラルの実現」に向けて2021年に参戦を終了したHondaですが、F1の新たなレギュレーションが自社の目標とするカーボンニュートラルの実現に向けた技術の方向性と合致すると考え、参戦を決意しました。「クルマはレースをやらなくては良くならない」…かつて本田宗一郎が口にした言葉です。HondaにとってF1はいつの時代も技術の開発に大きな意義を持つのです。

※2024年シーズンの参戦チーム名

2023年5月24日、F1に参戦することを発表。写真は本田技研工業の三部敏宏社長とAston Martin F1のローレンス・ストロール会長 2023年5月24日、F1に参戦することを発表。写真は本田技研工業の三部敏宏社長とAston Martin F1のローレンス・ストロール会長

2024 F1参戦からの足跡を辿るギャラリーが鈴鹿サーキットに誕生

2024年4月5日、日の丸を描いた葉巻型の白いマシンでHondaがF1に初出走してから60年目の春。F1日本グランプリのレース開幕と合わせて、鈴鹿サーキット敷地内に「Honda RACING Gallery」がオープンします。

鈴鹿サーキットは1987年にF1を初開催して以来、F1ドライバーや世界中のファンにとって思い入れのある場所であり、今回この地にHondaのモータースポーツの“世界一への挑戦”と“技術”の発信拠点として、F1を中心としたマシン群の造形美を楽しめるギャラリーを立ち上げました。

エントランスから期待感を醸成するスピードトンネルを抜けると、黒を基調とした空間に、色鮮やかなF1マシンが浮かび上がるように展示されている
Honda RACING Gallery 展示スペース エントランスから期待感を醸成するスピードトンネルを抜けると、黒を基調とした空間に、色鮮やかなF1マシンが浮かび上がるように展示されている

1Fの常設展示には、1965年のメキシコグランプリでHondaにF1初勝利をもたらした「Honda RA272」と、2021年にマックス・フェルスタッペンがドライバーズチャンピオンを獲得した「Red Bull Racing Honda RB16B」をはじめ、黎明期からF1ブームを巻き起こした80 年代、そして、技術革新が環境性能へと転換した 2010 年代以降の、数々の勝利をおさめたF1マシンが並びます。

さらにB1Fではオープン&F1日本グランプリ開催記念企画展『Honda F1 日本人ドライバーたち』を開催します。鈴鹿サーキットを訪れた際にはぜひ立ち寄って、モータースポーツに挑戦し続けるHondaスピリットを感じてください。

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