モータースポーツ・スポーツ 2024.02.29

スーパー耐久での経験を糧にいざ世界の舞台へ。従業員レーシングチームからF1へ挑む若手エンジニアたちの足跡

スーパー耐久での経験を糧にいざ世界の舞台へ。従業員レーシングチームからF1へ挑む若手エンジニアたちの足跡

Honda従業員有志によって始まったレーシングチーム「Honda R&D Challenge」(ホンダ アール アンド ディー チャレンジ:以下 HRDC)が、国内最高峰の耐久レース「スーパー耐久シリーズ(通称:S耐)」※1にスポット参戦を始めたのは2019年のことです。そして2022年からはシーズンフル参戦を開始し、2022年最終戦より、参戦車両である「CIVIC TYPE R」が先代のFK8型から現行FL5型※2へとスイッチ。2023年は最終戦までシリーズタイトルの可能性を残し、奇跡的な逆転劇でST2クラス(2400cc〜3500ccまでの4輪駆動車両、および前輪駆動車両)においてFF(前輪駆動車)初となるシリーズチャンピオンを獲得しました。

※1 規定時間内で最も多くのラップを走破したチームが勝者となる自動車レース。戦略的なピットストップやドライバー交代を行い、耐久性と速さのバランスを取りながら競い合う

※2  FK8型は2017年発売モデル。エンジンや空力性能をはじめ様々なスペックが向上した次世代モデルのFL5型は2022年に登場した

スーパー耐久シリーズの2023年シーズン(ST2クラス)を制したFL5型CIVIC TYPE R スーパー耐久シリーズの2023年シーズン(ST2クラス)を制したFL5型CIVIC TYPE R

Honda は2026年シーズンからのF1参戦を発表し、Hondaのモータースポーツ活動を担う株式会社ホンダ・レーシング(HRC)は、2026年シーズンに向けたF1パワーユニット(PU)の開発の真っ只中。その開発を担当するエンジニアの中には、HRDCでS耐を戦ったメンバーがいます。「HRDCでの経験が今に活きている」と語る彼らは何を得たのか? F1のエンジニアとして世界に挑む3人の若手に話を聞きました。

大河内 宗平(おおこうち しゅうへい)

F1パワーユニット機構信頼性領域担当
大河内 宗平(おおこうち しゅうへい)

2016年、本田技術研究所入社。2L直列4気筒エンジンを中心にエンジン機構信頼性を担当し、CIVIC TYPE R 、CIVIC e:HEVなどの開発に携わる。2023年、HRC 四輪レース開発部へ異動し、F1パワーユニット機構信頼性領域を担当する。HRDCへの加入は2022年3月。サブチーフメカニック兼パワートレイン管理を担当。

長尾 賢司(ながお けんじ)

F1エンジン単体性能開発担当
長尾 賢司(ながお けんじ)

2016年、本田技術研究所入社。1.5〜1.6L直列4気筒エンジン実車制御システム、適合開発、3.5L V型6気筒エンジン性能開発などを担当し、CIVIC、CR-V、CITY、NSXなどの開発に携わる。2023年、HRC 四輪レース開発部へ異動し、F1エンジン単体性能開発を担当する。HRDCへの加入は2022年1月。ガスコントロール兼パワートレイン管理を担当。

相原 寿哉(あいはら かずや)

F1 MGU-K※3モーター性能開発担当
相原 寿哉(あいはら かずや)

2017年、本田技術研究所入社。1.5L直列4気筒、3.0〜3.5L V型6気筒の実車エンジン制御および商品性適合開発を担当し、CR-V、ACCORD、CIVICなどの開発に携わる。2023年、HRC 四輪レース開発部へ異動し、F1 MGU-Kモーター性能開発を担当。HRDCへの加入は2022年12月。タイヤメカニックを担当。
※3 ブレーキング時に発生する運動エネルギーを、電気エネルギーへと変換する回生システム

チーム加入に求められるのは「学び」への意欲

――HRDCに参加したきっかけを聞かせてください。 加入するために必要な資格はあるのでしょうか?

長尾

必要資格はHondaの社員であることだけです。やりたいという意志があれば、門を叩けます。入るときにはチームの首脳陣との面談があるので、自分の想いを整理しておくことは必要です。

長期休みがあれば、子どもと一緒に愛車のエンジンのオーバーホールをしたり、家族でツーリングに行ったりと、モビリティと家族愛にあふれる大河内 長期休みがあれば、子どもと一緒に愛車のエンジンのオーバーホールをしたり、家族でツーリングに行ったりと、モビリティと家族愛にあふれる大河内
大河内

そこでの問答を思い起こすと、メンバーには強い目的意識を持っていることが求められていたのかなと。つまり、「自分がHRDCで、何を学びたいのか?」です。

――「レースがやりたい!」だけではダメということですね。

長尾

そう認識しています。HRDCはHondaの広報部の方や、CIVIC TYPE Rの開発責任者(LPL)も在籍していて、バラエティ豊かなチーム。でも、単に「レース好きで集まって楽しくやろうよ!」というだけの雰囲気ではありません。この活動で自分が何を成し遂げたいかを誰もが常に考え、追い求めていくという共通の目的意識を持っています。

――HRDCの存在は、どのように知ったのでしょう?

長尾

自分は2022年1月に加入したのですが、先輩に声を掛けていただいたことがきっかけです。チームの存在は知っていましたが、「Hondaらしい価値を創出できる開発者の育成」というチームのA00※4に共感し「これはやるしかない!」と思ってその場で入部を決めました。

大河内

私はX(旧Twitter)で「(S耐の)24時間レースでエンジン交換をしているチームがあるらしい」というツイートを目にして、「大変だなぁ」と思っていたら、それがHondaのチームで、しかもHRDCでした(笑)。ある日の昼休みに長尾さんからチームに加入することになったと聞き、「自分も負けていられない!」と、その場で紹介してくれと言って入部しました。

相原

私はHonda TV(Hondaの社内従業員向け放送)で知りました。私がHondaに入社した動機はレースに関わる仕事がしたかったからです。CIVIC TYPE Rのドライビングレッスンに参加したとき、開発責任者の柿沼(秀樹)さんが講師として参加されていて、柿沼さんに自身のレースへの想いを話したところ、社員の自己啓発活動でレース現場が学べる機会があることを教えていただきました。それが正にTVで見たHRDCのことで、入部しようと決めました。

※4 A00(エーゼロゼロ):Hondaでプロジェクトが走り出すときに、初めに議論されるもの。「これは、どんな世界を実現するための仕事なのか」、最後まで絶対にぶれないための指針・コンセプト。

レースとの両立を可能にした仕事への気づき。そして掴んだS耐チャンピオン

FL5型CIVIC TYPE R FL5型CIVIC TYPE R

――HRDCでの活動は、今の自分がやっている業務と関係していますか?

大河内

私がチームに加入した当時は、エンジンの管理をする人材がいなかったんです。私と長尾さんは、日々の仕事においてそれが専門分野なので、「まずはしっかりとしたメンテナンスをして、性能を出してやらなければダメだろう」ということになりました。個人的にはレーシングツーリングカー(市販車ベースのレーシングカー)のビークルダイナミクス(車両の「走る」「曲がる」「止まる」の性能を研究する分野)を学びたかったのですが(笑)。

取材の合間でも、エンジンを前にすると話に花が咲いてしまう3人 取材の合間でも、エンジンを前にすると話に花が咲いてしまう3人
長尾

レースの準備という点においては、エンジン性能(主に馬力、燃費、機能に関するエンジン諸元やセッティング決め)に関わる部分の開発が主業務だったので、強みを活かして伸ばすという考えで、チーム内では主にエンジンオーバーホール(清掃、検査、修理、交換など)やパワーユニットの運用などを担当していました。

相原

私は業務では主にエンジン始動性、クルマのドライバビリティを担当していたのですが、HRDCでの役割はタイヤメカニックでした。

――相原さんについては全く違う領域ですね。

「現場に勝るものはない」と、F1をはじめモータースポーツの現地観戦をやめられないという相原 「現場に勝るものはない」と、F1をはじめモータースポーツの現地観戦をやめられないという相原
相原

以前、上司から「クルマ1台分を考えた開発ができているか」と問われたことがあります。エンジンのセッティングにおいては「クルマの各要素の動きを理解した上で判断すること」が必要なのですが、当時の私にはその観点が不足していて……。クルマの挙動の理解をより深め業務につなげるため、エンジン以外の要素を学びたいと考え、通常業務とは異なる領域にチャレンジしました。初めて携わる領域であっても、HRDCの活動では自らがやりたいと思ったことにチャレンジができる風土があるところが魅力です。

――HRDCの活動をしていて、業務やプライベートとの両立を図るのは難しそうです。

長尾

レースウィークは木曜日から始まるので、木・金と、2日連続で有休を取得することになります。そのため、普段から仕事仲間と情報を共有する意識を持ち、スムーズな引き継ぎができるよう心がける必要があります。また、プライベートとの両立は家族のサポートが欠かせません。幸い家族の理解があり、楽しく活動できています。日頃から感謝の思いは伝えています。こうした意識を持てるようになったのは、HRDCに参加したからですね。

大河内

私が上司から言われたのは、シーズンが始まる前から予定を立てておくこと。自己啓発であることは理解してもらっていたので、参加を応援してくれましたね。チャレンジに対してきちんと評価してくれるのは、Hondaの社風だと思います。

長尾

目標に向かって頑張っている人が報われる会社だと思っています。

相原

私も同意です。先輩たちからは「レースは準備が8割」だと教わっていて、その準備は通常業務から始まっています。レースが終わった翌日の朝礼では活動の報告をして、チャレンジして得られたこと、業務で活かせる経験を伝えるようにしているんです。それがHRDCの活動を認めてもらうことにもつながりますから。そういう意味では、チャンピオンになれた今シーズンは最高の報告ができました!

チャンピオンを決めた最終戦富士ラウンドでのポディウム チャンピオンを決めた最終戦富士ラウンドでのポディウム
最終戦富士ラウンドでのHRDCメンバー 最終戦富士ラウンドでのHRDCメンバー

――シリーズチャンピオンですから、頑張りが実を結んだわけですね。

長尾

参加初年度(2022年。車両はFK8型CIVIC TYPE R)は私にとって初めてのレース活動でしたし、チームとしても初のシリーズフル参戦という状況で、ものごとを回すのが精一杯の状況でした。あのてんやわんやしている状態から全員が力を発揮して、成長を実感しながら得たタイトルは本当に意味があるものだと感じます。

――一番印象に残っているレースはありますか?

長尾

2022年の第4戦オートポリス(大分)ですね。持ち込んだエンジンが機能せず、フル加速すると失火※5してしまうトラブルが出て。そこからメカニックの「48時間耐久」が始まりました。ただ、最終的には原因を突き止めることができ、レース当日はリタイアすることなく完走を果たしました。チームの力を感じた瞬間である一方で、もうこんな思いはしたくないと、大幅にエンジン管理の仕方を見直すきっかけになった出来事です。

※5 スパークプラグ(エンジン内の燃料混合気に電気火花を供給し点火する部品)でガソリンの混合気に点火する際、いずれかのシリンダーがうまく燃焼しなくなる状態

大河内

自分は第2戦富士24時間(静岡)です。残り3時間くらいのところでエンジンブロー(損傷)の予兆があって、そのまま走らせるか諦めるのかを、それこそ言葉を選ばずに議論しました。そして出した結論は、最後まで走りきること。私はエンジンに負荷がかからない走行モードをその場で検討し、ドライバーへ指示しました。24時間を走りきったときは、安堵でチャンピオンを獲得したときよりも泣きましたね。HRDCに参加して、ギリギリのところでもきちんと考えて対処する力が身についたと思います。

S耐での経験を糧に、2026年シーズンのF1に挑む若手エンジニアの決意

――S耐で最高のシーズンを経験した皆さんは、2026年から採用されるF1のパワーユニット開発メンバーに抜擢されましたね。

相原

小さい頃に描いた夢が実現しました。人生最大のチャレンジがやってきたと感じています。私はMGU-K(ブレーキング時に発生する運動エネルギーを、電気エネルギーへと変換する回生システム)のモーター性能開発を担当することになりました。F1という舞台で、究極のチャレンジができることをうれしく思います。勝ちにこだわっていきます。

大河内

私はエンジンの信頼性領域を担当しています。定めた性能をきちんと出しながら、壊れないように動かし、運用していくのが仕事です。辞令を聞いたときは「F1か!」という驚きと緊張を感じましたが、いざ配属されてみると、意外に気持ちは落ち着いています。量産車とF1マシンでは発生する振動レベルやエンジン回転数が全く異なりますが、結果として求めるものは同じ。プレッシャーには感じず、大好きな仕事をきっちりとやりきるだけです。

長尾

F1の部署へ配属になると聞いたとき「いよいよだ!」という気持ちになりました。今までのことは、すべてこのためにやってきたと感じながら業務をしています。プレッシャーもありますが、その中でも楽しむ気持ちを持って臨めているのは、HRDCの活動があったからだと思います。

レース活動の他、量産車も含めたHonda製品で世の中の人とのつながりを強め、「一つでも多くの喜びを生み出すこと」が夢だと語る長尾 レース活動の他、量産車も含めたHonda製品で世の中の人とのつながりを強め、「一つでも多くの喜びを生み出すこと」が夢だと語る長尾

――F1に携わることはHondaやHRCの社員にとって究極の夢の一つと言えます。皆さんがそれを実現できた理由は何だと考えますか?

長尾

夢を諦めないことです。F1で個人的に一番印象に残っているのは、2021年のシリーズチャンピオン獲得を目前に、その年をもってHondaがF1から撤退するという知らせが届いたとき。当時の私はF1を目指してV6エンジンの開発をしていたのですが、全社一斉に社長からのメッセージが届いたときは、30分くらい呆然としてしまって……。

大河内

エンジン屋(エンジン開発部門)は“お通夜のようだ”と言われていましたね(笑)。

長尾

それから1週間ほど、ずっとショック状態でした(笑)。ただ、そんな中でも次第に「Hondaは絶対に、いつかまたF1をやるはずだ!」「次に参戦するときには自分も関われるように準備をしよう」と気持ちを切り替えられるようになり。それが、私がF1への道を実現できた理由だと思います。

大河内

Hondaのエンジン屋でショックを受けなかった人はいないんじゃないでしょうか?その上でF1への扉を開くには、ブレずに想いを言葉にし続けることだと私も思います。

――最後に、F1における目標を教えてください。

大河内

当然答えは一つだと思いますが、私は自分が携わって作り上げたエンジンで、ワールドチャンピオンを取ることです。

相原

子どもの頃に憧れていたF1の舞台に立てるので、当時の自分と同じようにF1を観ている子どもたちに夢を与えたいですね。そして電気のパワーユニットがとても魅力的だということを、F1の世界で勝つことで証明したいです。

長尾

私もワールドチャンピオンです。一方で最近は「何のために目指すのか」を考えるようになりました。人と人とのつながりを強くできるのがモータースポーツの魅力であり、同じ体験を通して喜びを分かち合える空間を提供するのが、究極の形なのかなという考えに至って。最高に喜びを分かち合える空間は、世界最高の舞台であるF1でワールドチャンピオンになったときに生まれると思うので、Hondaとして総力を挙げて獲りにいきます。

<関連記事>