2022年にウィンブルドン選手権で悲願の初優勝を果たし、男子車いすテニス史上初となる「生涯グランドスラム(四大大会全制覇)」を達成したプロ車いすテニスプレーヤー・国枝慎吾さん。そんな偉業達成の翌年(2023年)1月、国枝さんは現役引退を発表し、またもや世界を驚かせました。
国枝さんはなぜ、38歳まで現役生活を送りトップを走り続けられたのか? そのモチベーションはどこから? 今回は、国枝さんと同じく「世界一」「世界初」を常に目指すHondaの四輪事業本部で、福祉車両の戦略・立案にたずさわる小山俊博と五味哲也が、国枝さんにインタビュー。“挑戦”への想いを聞きました。
国枝慎吾(くにえだ しんご)
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本田技研工業株式会社
四輪事業本部
事業統括部 商品戦略部 顧客価値戦略課
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小山俊博
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五味哲也
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「車いすテニスをもっと知ってもらいたい」という使命とも戦ってきた
ありがとうございます! 東京2020パラリンピック(以下、東京パラリンピック)には「この試合で勝てればほかは負けてもいい」と思うほどすべてを賭けて臨みました。そこでの金メダル獲得が2022年のウィンブルドン初優勝と、「生涯グランドスラム」に繋がったと思っています。
実は東京パラリンピックまでは、ライバルたちと戦うと同時に、「車いすテニスって想像以上にスゴイな、面白いな、車いすでここまでできるんだな」と、プレーを通じて多くの人に知ってもらいたいという“自分の使命”みたいなものとも戦っていたんです。
そうでしたか! 私も、車いすをまっすぐ走らせながらラケットを持って素早く回転し、対戦相手を制す国枝さんの美しい動きに魅了された一人です。これまで観てきたテニスとはまた違う、エンターテインメント的な面白さも伝わってきて、東京パラリンピックを視聴しながら感動で毎回泣いていました(笑)。
うれしいです。まさに僕はそんな魅力を伝えたかった。東京パラリンピックで初めて、多くの方々に「伝わった」手応えを感じ、一つの戦いが終わったというか…肩の荷が降りた気がしました。
それ以降です、本当の意味で「自分のプレイ」だけに集中できるようになったのは。東京パラリンピックで手応えを得たことが、芝のコートとの相性の悪さをずっと感じてきたウィンブルドンで、ようやく初優勝できた大きな要因だと考えています。
世界を目の当たりにし、プロ選手のプライドにしびれた高校時代
約30年前の小学生時代、家から遠くない場所に偶然スクールがあったことから車いすテニスと「運命の出会い」をしたという国枝さん。競技を始めた頃についても話は盛り上がりました。
母のススメもありスクールに通い始めた当初は、ボールがなかなかコートに収まらなくて。でも段々上達していくのが楽しくなったんです。そこは健常者の方とまったく変わらないノリというか、目の悪い人が眼鏡をかける感覚と同じように、僕もテニスをするためには単純に車いすが必要だなという感じで、気づけばこの競技にのめり込んでいました。
世界のレベルを最初に意識したときの記憶はありますか?
高校1年生のときにオランダへ海外遠征し、初めて世界No.1プロテニスプレーヤーの試合を見て、到底かなわないハイレベルな戦いに愕然としました。と同時に「ラケット1本で食っているんだ」というプロ選手のプライドをビンビン感じ、「いつか彼らと打ち合ってみたい」と強く憧れたのを覚えています。
それから約3年後に世界No.1の選手と対戦しましたけど、6-0くらいで吹っ飛ばされました。でもその数カ月後には1セットとれるようになり、練習によって実力差は少しずつ縮まっていった。最初に諦めなくて本当によかったです(笑)。
2022年シーズンの末には男子車いすテニスの世界年間ランキング1位となり、2年ぶり10度目の世界一となった国枝さん。順風満帆な選手人生のようにも思えますが、2016年のリオパラリンピックでは「引退」を考えたといいます。
リオパラリンピックの年に肘の手術を受け、不調のまま迎えた大会はベスト8止まり。ずっと背負ってきたチャンピオンの座も若手選手に譲りました。
そこから復活までの道のりは、生半可なものではなかったのでは?
はい、敗因を徹底的に探り、打ち方もコーチも車いすも、すべてを変えました。
変えることに、恐怖は感じませんでしたか?
これはスポーツも、クルマの世界も同じかもしれませんが、「現状維持」では周囲のレベルが日々アップしてくるからいつか負けてしまう。そっちの方が恐怖ですよね。さらに言うと、たとえ自分が勝者だとしても、「自分を変えること」が、勝ち続けるためには欠かせないんだと痛感しています。
変えるリスクをとってでもチャレンジを続ければ、大きな勝利を得られる。リオでの挫折などを経て僕が学んだことです。
国枝さんは、テニスラケットに「俺は最強だ!」という文字を書き込んでいますよね。
テニスってやっぱりメンタル勝負のスポーツなんですよ。1ポイント決まって次のサーブを打つまで25秒の猶予があり、その間に弱気に飲み込まれてしまうのは“テニスプレーヤーあるある”で。心を強くキープしないとプレーが崩れまくってしまうんです。そんなとき座右の銘である「俺は最強だ!」の文字を見ると、「俺は最強だサーブ」が打てるのです。
なるほど、己を鼓舞するためですか。
でもコートを離れても同じマインドだと反省しなくなってしまうので(笑)、普段の練習では「自分をいかに疑えるか」を大切にしています。テニスのトレーニングはある意味シンプルというか、頑張れば誰でも上達できる。一番難しいのはこの、自身の課題を見いだす作業ではないでしょうか。
Hondaでは入社時から、先輩たちにチャレンジ精神を叩きこまれるので、国枝さんのお話はすごく共感できます。「同じ場所にとどまる時点で後退を意味する」「うまくいっているときこそ、さらに進化するためにどうしたらいいか考え続ける」。Hondaのクルマづくりの原動力は“挑戦を恐れない心”ですから。
僕の競技活動をサポートいただく中でHondaの皆さんと接することも多いですが、そんな社風がすごく伝わってくるし、Hondaのクルマにもそれが表れているな、と感じています。
「クルマが、競技人生とプライベートをより自由にしてくれた」
ところで、国枝さんの愛車はHonda「オデッセイ」だそう。18歳で運転免許証を取得して以来、3台を乗り継いできました。
当時は、駅に今ほどエレベーターが整備されていなかったこともあり、移動にクルマは欠かせないぞと、大学受験後すぐに教習所へ通いました。日本各地へ友だちを乗せてよく旅をしましたね。
テニスのために移動する際も、クルマですか?
もちろん。車いすを乗せてテニスコートまで自分で運転していけばいくらでも練習できます。格段に自由度が広がりましたね。
国枝さんの愛車オデッセイで、お気に入りのポイントは何でしょうか?
競技のために車いす2台とタイヤをクルマに積まなきゃいけないんですけど、オデッセイの広いキャパシティはまさに理想的です。乗り心地もとてもいいです。
そう言っていただけると、うれしいです!
「できない」をどれだけなくしていけるか――Hondaの福祉車両への想い
Hondaでは手だけで運転できる「テックマチックシステム(手動運転補助装置)」と、足だけで運転できる「フランツシステム(足動運転補助装置)」の開発にも力を注いでいます。その根底にあるのは「自由に移動できることが、人の根本的な喜びに繋がる」という信念。開発段階で生じたハードルは、Honda持ち前の「チャレンジングスピリット」で突破してきました。
障がいを持っている方や高齢者が、どれだけ自由に活躍できるか、その人たちの「できない」をどうやってなくしていくか。私たちはモビリティを通じて社会へ貢献したい。そんな想いで日々、取り組んでいます。
なるほど。
一般的に「テックマチックシステム」は「手動運転補助装置」と呼ばれますが、我々の中で「後付けの補助装置」っていう概念はないんですよ。なぜなら、手だけで運転すること、それがテックマチックユーザーにとって“運転そのもの”だから、です。
開発ではどんなことを心がけているんですか?
“ダイレクトにクルマと会話しているような”操作感の実現を目指しました。手動操作であっても、そのクルマの個性や、楽しくて、もっと遠くまで行きたいと感じられる爽快感を忠実に伝えることが大切です。そのために運転姿勢を崩さない配置や、メカニカルな結合部分の調整機構、精度など…さまざまな工夫を施しています。
「テックマチックシステム」のリリースから約10年、「それは無理でしょう?」とずっと社内で言われてきたことにも、結構トライしてきましたよね。
はい。例えば、外部に依存していたパーツ開発や車体加工を、設計図面の段階からすべてHondaの中で行うよう仕組みを大きく変更したことも。結果、より質の確かな福祉車両やシステム進化を提供できるようになったと自負しています。
さきほどの話にも繋がりますけど、そうしたHondaさんの企業姿勢は、僕が普段から大切にしているチャレンジングスピリットと共鳴するように思います。
4大大会とパラリンピックを制し、長年の夢だった男子車いすテニス初の「生涯ゴールデンスラム」を成し遂げた国枝さん。現役引退後の活動も、多くのファンの気になるところでしょう。
今は、新たな一歩を踏み出すために、自分には何ができるのか、ゆっくりと模索しているところです。
ただやはり、僕は日本の車いすスポーツ界で初めてプロ転向した選手ですから、「あとに続く若手選手たちのために何かサポートできたらいいな」という想いは、東京パラリンピック以降、日に日に強まっています。昨年は日本と英国で若手選手と交流する機会に恵まれました。今後はもっと増やしていけたら。
いいですね! きっと多くの人たちが国枝さんの背中を追いかけ、勇気をもらっていると思います。
ありがとうございます。
海外と比べると日本では、障がいを持つ方々がまだまだ自由に活動できてないように個人的には感じていて。そこを日本人の国枝さんが先頭に立って世界を舞台に切り拓いているイメージがあります。
少なからず僕もそこをモチベーションに戦ってきた部分もあります。Hondaの皆さんも世界を意識して日々クルマづくりに向き合っているのでは?
そうですね。実はまだ私たちの福祉車両や「テックマチックシステム」などの装置は日本国内でしか販売されていないんです。でもやっぱり、Hondaはそれだけじゃないだろうって思うわけですよ。
せっかくいい技術や製品を持っているのだから、国枝さんと同じように、これからは福祉車両の分野でも「世界を舞台」に挑んでいけたらと考えています。
とても楽しみですね。
世界中の障がいを持つ方も、そうでない方も、より自由に移動して社会で輝けるよう、Hondaはクルマを通じて応援していきたい。そのためにもっとチャレンジしていかねば…と、国枝さんと今日お話しして強く感じた次第です。
僕もとてもいい刺激になりました。今まで生きてきた中で、一つだけ胸を張って言えることがあります。人生の岐路に立ったとき、間違いなく「後悔しない方」だけを選び続けてきた。障がいを持っている方であれ、健常者であれ、もしやりたいことがあるのに尻込みしてしまうのは、一度きりの人生、非常にもったいないですからね。僕も常にチャレンジャーであり続けたいと考えています。
※インタビューは、2022年12月に実施しました。
※新型コロナウイルス感染症対策を実施した上で取材・撮影を実施しています。
※Honda純正の運転補助装置「テックマチックシステム」「フランツシステム」は、現行FITのみの適用となります(2023年1月現在)
Hondaの運転補助装置について
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「生涯ゴールデンスラム」の達成、おめでとうございます。ずっと応援してきました。