Honda F1通算72勝目の記念碑

Honda RA106

ホンダRA106

Honda RA106
RA106

“ホンダ・ホンダ”体制下での殊勲
Honda F1第3期&バトンの初優勝車

2006年、Hondaの第3期F1活動に大きな節目が訪れた。38シーズンぶりの、完全ワークスチーム復活──。
2000年のエンジンサプライヤーとしてのF1復帰以来、HondaはB・A・Rチームとともに戦ってきた(01~02年はジョーダンにもエンジン供給)。チームとの連携を深めていくなかで、Hondaは次第にギヤボックス関連を中心に車体面の開発にも力を注ぐようになっていたわけだが、06年シーズンに向けてB・A・Rを傘下へと収め、「Honda Racing F1 Team(HRF1)」に移行させたのである。
Hondaがこうした動きを採った背景には、当時のF1界の2つの潮流が影響していた。まずひとつは、もともとタバコ資本で成立したチームであるB・A・Rが、欧州を中心に強まりつつあったタバコ広告規制の問題に直面していたことだ。“B・A・R Honda”には、タバコ資本からの脱却を段階的に進める必要があった(06年の正式なエントラント名はLucky Strike Honda Racing F1 Team。翌07年からHonda Racing F1 Team)。
そして当時のF1界もうひとつの潮流、こちらの方がHRF1誕生の理由としてはより大きかったと思われるが、21世紀初頭は日欧の自動車メーカーがF1への技術的・資金的な関与を極めて強くしていた時期だった。ルノーが02年からベネトンをワークス化、トヨタも02年から完全ワークスチームで参戦中、メルセデスもマクラーレンとの提携関係を強化していた。そしてHondaと同じく00年からエンジンサプライヤーとして復帰したBMWも、05年まではウィリアムズをパートナーとして戦っていたが、06年シーズンに向けてザウバーを完全ワークスチームとすべく傘下に収めている。勝つためには自動車メーカーとしての総力を挙げての参戦体制に移行するのが必然だった。まして、第3期のHondaは参戦6年を経過して未だ勝ち星なし。F1界の潮流はともかく、抜本的な改革策を講じるべき時期でもあったといえよう。
こうして、1964~68年の第1期活動以来のオールHonda、“ホンダ・ホンダ”が復活した。
チーム本拠は引き続き英国のブラックレー。使用タイヤもミシュランで変わらず。レースドライバーは、ジェンソン・バトンが残留、そして新たにフェラーリからルーベンス・バリチェロが加入した。サードドライバーはアンソニー・デイビッドソン。なお佐藤琢磨は新規参戦チームでHonda製エンジンを搭載するスーパーアグリに移籍している。

Honda RA106

06年シーズンは、エンジンに関して大きな規定変更があったシーズンだ。従来の3000cc V10から、2400cc V8へと規格が変更されている。新たなHonda製エンジンの型式名称は「RA806E」。前年までのV10はRA000E~RA005Eであり、Honda第3期のF1エンジンの型式名称は最初の0が気筒数の下1桁を、その後ろが西暦下2桁を示すとされていた。RA806Eもその法則にちなんだわけだが、そもそもRAは第1期以来受け継がれる、Racing Automobileの略(末尾のEはエンジンを示す)。完全ワークスチーム化によって、このRAが車体名にも甦ることとなった。06年型マシンの名称は、RA106である(1はF1を示すとされ、06は2006年を示す)。
RA106はテクニカルディレクターであったジェフ・ウィリスを中心に設計された(ただし彼は06年途中でチーム離脱)。B・A・R Hondaとして培ってきたものを正常進化させたマシンといえたが、そのことが「コンサバティブ(保守的)すぎる」という評価につながった面もある。だが、シームレスギヤボックスなどはHondaがF1界のトレンドリーダーとなって押し進めてきたハイクオリティテクノロジーであり、RA106のそれはより洗練されたものとなっていた(06年頃になると他チームも追いついてきていた、とする論評もあるが)。
バトンはRA106で開幕から4位、3位と連続で上位に入賞。ただスターティンググリッドがそれぞれ3番、2番だったことを考えると、少々不満な結果ではあった。この年の第3戦は、例年開幕戦として行なわれることが多いオーストラリアGPだが、そこでバトンはポールポジションを獲得。これはシャシーコンストラクターであるHondaにとっては68年イタリアGP以来、38年ぶり2度目のポールポジションであった。しかしレースでは5位を走っていた最終周にマシントラブルでストップ(10位完走扱い)と、消化不良な展開が続いてしまう。
第4戦サンマリノGPではバトン、バリチェロの順で2、3番グリッドからスタートするも決勝結果は7位と10位。その後もこの年のHondaは、予選で好位置は確保するものの、そこから順位を下げてレースを終える展開が目立つこととなる。当時は8位以内だった入賞こそ重ねてはいたが、第2戦マレーシアGPでのバトン以来となる表彰台獲得はなかなか実現しなかった。

中盤戦はリタイアも増えてきていたHondaだが、8月6日の第13戦ハンガリーGP、雨絡みのレースで歓喜の瞬間がやってくる。
バトンは予選4位、しかしエンジン交換のペナルティによって14番グリッドからのスタートに。このレースでは、チャンピオンの座を争っていたミハエル・シューマッハー(フェラーリ)とフェルナンド・アロンソ(ルノー)がフリー走行中のコース上での行為によってペナルティを科され、それぞれ11番、15番グリッドへと下げられており、スタート前から波乱含みの雰囲気だった。また、当時のF1は途中給油があり、しかもこのレースは雨の影響によってタイヤ選択もシビアであり続けたため、流れの読みにくい混乱状況になっていく。
見た目の順位が実状を示しにくい展開のなか、1周目を11位で終えたバトンは、7周目には4位、27周目には2位へと順位を上げていった。この時点での首位は、選手権リーダーの地力を見せつけるかのようにアロンソである。残りレース距離約3分の1の46周目に、バトンは2度目の給油のためピットへ。ここではタイヤ交換をせず、スタンダードウエットのままコースに復帰した。対するアロンソは51周目にピットイン、ドライタイヤにかえて戦列に戻るが、直後にクラッシュを喫してしまう(ホイールナット関連のトラブルがあったことが原因とされる)。

これでバトンは首位。54周目にドライタイヤを履くと、あとは勝利へ向けてペースアップしていくだけだった。時にシルキースムースとも喩えられるバトンのしなやかなドライビングが微妙な路面コンディションのなかで威力を発揮した、と見るのが妥当なレースだが、「コンサバ」と評されることもあったHonda RA106の、B・A・R Hondaの時代から培われてきた技術の総決算バージョンともいえるマシンならではの素性の良さが活きた、とも考えられる内容の一戦だった。 ハンガロリンクにチェッカーフラッグが舞う。F1デビュー7年目、バトン待望の初優勝だ。Hondaにとっては復帰7年目の第3期初優勝。Honda製エンジンとしては第2期最終レースの92年最終戦オーストラリアGP以来となる72勝目、そしてシャシーコンストラクターのHondaにとっては第1期の67年イタリアGP以来、39年ぶりの通算3勝目であった。

シーズン終盤、RA106は安定して結果を残すようになる。優勝した第13戦ハンガリーGP以降、最終第18戦までバトンは全戦5位以内でポイントゲット。最終戦ブラジルではシーズン3度目の表彰台(3位)も獲得した。バリチェロもハンガリーでの4位以降、日本GP以外は8位入賞を外していない。ハンガリーでの優勝は運に恵まれた面もあったが、中本修平らを中心とする日本主導の新体制が効果を発揮し始めていたのも確かだったのである。シリーズ順位ではバトンが6位、バリチェロも7位に続き、Honda(HRF1)のコンストラクターズランキングは4位。これはB・A・R Honda時代を含む第3期において、04年の2位に次ぐ好成績だった。

結果的に第3期唯一の優勝車となってしまったことは残念だが、RA106はHondaの誇りを守ったマシンとして、歴史にその名を刻まれている。

Honda RA106
RA106

Spec

シャシー

型番
Honda RA106
デザイナー
ジェフ・ウィリス
車体構造
カーボンファイバーモノコック
全長×全幅×全高
4675×1800×950mm
ホイールベース
3145mm
トレッド(前/後)
1460/1420mm
サスペンション(前/後)
プッシュロッドトーションスプリング
タイヤ(前/後)
ミシュラン製
燃料タンク
ATL製150リットル
トランスミッション
ホンダ製7速セミオートマチック

エンジン

型式
RA806E
形式
水冷90度V型8気筒NA
排気量
2400cc
最高出力
700ps以上
燃料供給方式
Honda PGM/FI

Detail

Honda RA106

体制面の変更があったりエンジンが新規定になったりと変動期にあったマシンながら、車体の基本は前年車のBAR007の流れを汲んでいる。大胆に持ち上げられたノーズによって車体下部へ積極的にエアを導く意図が見て取れる。

Honda RA106

“第2期”の頃のマシンと比べると隔世の感がある、カラフルなスイッチボタンが配されたコクピット。レース中の給油があった時代のクルマらしく燃費と出力をコントロールするのも戦略のひとつ。燃料ミクスチャーを調節するマップ切替スイッチがセンターに陣取っている。

Honda RA106

この時代の白眉は空力が格段に進化したこと。小さなカナードやシールド状のサイドウイング、ミラー周辺の造形、チムニーダクト周辺の整流パーツなどがボディカウルの前後左右にいくつも配され、空気の流れをうまくコントロールしようとしている。

Honda RA106

貴重なフットボックス内のカット。極端に細く尖ったノーズは完全な2ペダルになったことで実現しており、ペダル周辺はご覧のとおり相当に狭い。ドライバーのバトンは左足ブレーキングも完全にマスターし上昇機運をつかみ、ついに第13戦で栄誉に浴した。