公益財団法人 本田財団(設立者:本田宗一郎・弁二郎兄弟、理事長:石田寛人)は、2019年の本田賞を、人工知能におけるディープラーニング※1の先駆的研究と実用化への貢献を果たしたとして、トロント大学 名誉教授、ベクター研究所主任科学顧問ジェフリー・ヒントン博士に授与することを決定しました。
1980年に創設された本田賞は、科学技術分野における日本初※2の国際賞であり、人間環境と自然環境を調和させるエコテクノロジー※3を実現させ、結果として「人間性あふれる文明の創造」に寄与した功績に対し、毎年1件の表彰を行っています。ヒントン博士はAI(人工知能/Artificial Intelligence)へのディープラーニング活用の基礎となるバックプロパゲーション※4をはじめ、AIを実用化に至らせた数々の技術を考案してきました。AIは科学技術の発展のみならず、エネルギーや気候変動といった人類が抱える地球規模の問題を解決するうえで重要な役割を果たすことが期待されており、ヒントン博士の取り組みは、本田賞にふさわしい成果であると認め、今回の授賞に至りました。
本年で40回目となる本田賞の授与式は2019年11月18日に東京都の帝国ホテルで開催され、メダル・賞状とともに副賞として1,000万円がヒントン博士に贈呈されます。
ヒントン博士の研究について
AI研究の草創期である1960年代は、コンピューターが認識できる形で知識をデータ化し、それに基づいてコンピューターが推論を行うのが主流でした。これに対し生物学的着想で、人間の脳の仕組みをモデル化し、膨大なニューロンの活動パターンを用いて学習する人工ニューラルネットワークが登場しました。1986年にヒントン博士と共同研究者たちが提唱したバックプロパゲーションアルゴリズムにより、バラバラに分布したデータを学習し法則性が発見できると実証するまで、ニューラルネットワークはほとんど成功しませんでした。現在この技術は標準的な手法となり、論文引用数は60,000件を超えています。しかし、当時は学習に必要な大量のデータを準備することが難しいうえ、コンピューターは処理能力が低く、実用化に至ったAIは限られたものでした。その結果、人工ニューラルネットワークへの関心は次第に薄れ、1990年代には「冬の時代」を迎えました。
それでもヒントン博士は世間の状況に振り回されることなく地道に研究を継続。1993年には変分推論(変分ベイズ法)※5を、2002年にはラベル化したデータを一切必要としない制限ボルツマンマシン(RBM)※6のための高速学習アルゴリズムを発表するなど、一連の手法はAIが膨大なデータを効率的に処理することを可能にし、ディープラーニングの飛躍的な進化を実現しました。また、2009年には多層ニューラルネットワークによって音声認識技術の劇的な性能向上を実現したほか、2012年には深層畳み込みニューラルネットワークによって従来の画像認識技術をはるかに超える精度を確立させ、ディープラーニングによるコンピューターの画像認識に革命をもたらしました。
こうした劇的な成果を得るため、ドロップアウト(より高速に学習することができる正規化線形関数や人工ニューラルネットワークで特徴を学習しすぎによる過剰適合の発生を回避する技術)や、t-SNE(二次元で三次元のデータを可視化する手法)など、現在広く使用される数々の手法を生み出し、多くの技術進化をもたらしてきました。AIを活用したサービスは世界中に存在しますが、そのほとんどはヒントン博士らの成果がなければ実現しなかったものです。
スマートフォンの音声応答、自動運転車の実証実験、医療用画像の自動診断など、AIは私たちの暮らしの中で幅広く利用されています。産声をあげてから70年、AIは人類に貢献する技術として、その役割を果たすところにやってきました。ヒントン博士の長年にわたる研究によって、AIは社会の新たな姿を創造する手段となり、高度な交通システムの構築や医療サービスの進化といった安全・安心な暮らしの実現、さらにはエネルギー問題や気候変動、自然災害をはじめとした人類の重要課題の解決に寄与することが期待されており、本田賞にふさわしい成果として今回表彰することとしました。
- ※1ディープラーニング(深層学習、Deep Learning):機械学習の手法の一つで、人間の脳のニューロン(神経細胞)の働きを参考にした「ニューラルネットワーク(Neural Network)」を用い、人間の手を使うことなくコンピューターが自動的にデータの構造を発見する技術
- ※2Honda調べ
- ※3エコテクノロジー(Ecotechnology):文明全体をも含む自然界をイメージしたEcology(生態学)とTechnology(科学技術)を組み合わせた造語。人と技術の共存を意味し、人類社会に求められる新たな技術概念として1979年に本田財団が提唱
- ※4バックプロパゲーション(誤差逆伝播法、Backpropagation Algorithm):深層学習の出力結果の誤差を減らすために、ニューラルネットワーク内の計算方法を効率的に変化させる手法
- ※5変分推論(変分ベイズ法、Variational Bayesian Method):確率モデルの事前確率を観察によって合理的に更新を行い、近似値を得る手法。データが少なくても推測が可能で、データが増えるほど正確になる。また、入ってくる情報に瞬時に反応して自動的に推測を更新する学習機能を持っている。応用例として迷惑メールのフィルタリングや記事のカテゴリー分類などが挙げられる
- ※6制限ボルツマンマシン(RBM: Restricted Boltzmann Machine):ボルツマンマシンとは、確率的に動作するニューラルネットワークの一種。19世紀の物理学者で統計熱力学の創始者とされる、ボルツマン(Boltzmann)の名を冠している。当初考案された学習方式は膨大な計算時間を必要としたが、ネットワークの接続に一定の制限を持つボルツマンマシンに対する効率的な学習方式を発見し、この問題を克服した
ジェフリー・E・ヒントン博士
トロント大学 名誉教授
生年月日・出身地
1947年12月 英国(英国&カナダ市民)
略歴
1978~80年 カリフォルニア大学サンディエゴ校、博士研究員
1980~82年 ケンブリッジMRC応用心理学ユニット、リサーチサイエンティスト
1982~87年 カーネギーメロン大学、助教授&准教授
1987年~ トロント大学、コンピューターサイエンス学部教授
1998~2001年 ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン、ギャツビー計算論的神経科学ユニット長
2013年~ グーグル・ブレイン・チーム、工学フェロー(半日勤務)
2016年~ ベクター研究所、主任科学顧問(無償ボランティア)
栄典・受賞歴
1998年 王立協会フェロー
2001年 デビッド・E・ラメルハート賞(認知科学)
2005年 IJCAI人工知能研究優秀賞
2011年 ヘルツバーグゴールドメダル(カナダ、理工学)
2016年 米国工学アカデミー外国人会員
2016年 IEEE/RSEジェームズ・クラーク・マクスウェル・ゴールドメダル
2016年 BBVA財団フロンティアーズ・オブ・ナレッジ賞 情報通信技術部門
2016年 NEC C&C賞
2018年 ACMチューリング賞(ヤン・ルカン氏およびヨシュア・ベンジオ氏と同時授賞)
主要出版物
- ・A Learning Algorithm for Boltzmann Machines: (with Ackley, D. H. & Sejnowski, T. J.), Cognitive Science, Elsevier, 9 (1): 147–169, 1985(ボルツマンマシンの学習アルゴリズム)
- ・Learning Representations by Back-Propagating Errors: (with Rumelhart, D. E. & Williams, R.J.), Nature 323 (6088): 533–536, 9 October 1986(誤差逆伝播法による表現学習)
- ・A Fast Learning Algorithm for Deep Belief Nets: (with Osindero, S. & Teh, Y.), Neural Computation, 18 (7): 1527-1554, July 2006(ディープ・ビリーフ・ネットワークの高速学習アルゴリズム)
- ・Reducing the Dimensionality of Data with Neural Networks: (with Salakhutdinov, R.R.), Science, 313 (5786): 504–507, 28 July 2006(ニューラルネットワークによるデータ次元削減)
- ・ImageNet Classification with Deep Convolutional Neural Networks: (with Krizhevsky, A. & Sutskever, I.), NIPS 2012. Curran Associates Inc.: 1097–1105, 3 December 2012(深層畳み込みニューラルネットワークによるImageNet分類)