第Ⅴ章
喜びの拡大を
目指す取り組み

第3節 リソースサーキュレーション

第3節 リソースサーキュレーション

「もう一度使えること」への挑戦

ものづくりにおいては、日本にまだリサイクルという考えがなかった時代から
ホンダは、創業当初でありながら、資源の再利用などの取り組みをスタートさせていた。
「いったん工場に入れた材料は、製品になったもの以外は外に出さない」という
本田宗一郎の考えがあるが、それはよほどの決意がないとできない。
まさに、自ら2階に上り、はしごを蹴落とすような姿勢である。
ホンダは長年、リサイクルに情熱を持ち、確固とした意志で取り組んできた。
苦しみながら継続し、創業75周年を迎えた今
ホンダのリサイクルは新たなステージへの挑戦を開始した。

リサイクルへの気付き

 今でこそリサイクルという概念は常識となっているが、ホンダの創業当時、戦後の復興から高度成長期(1955年から1973年)に向かっていた日本の産業界では、資源を再利用するという意識がまだまだ低かった。しかしホンダは、創業間もない1957年、欧州の視察旅行から戻ってきた藤澤武夫の「紙とインクの使用量を減らせ」という開口一番の言葉からリサイクルへの取り組みを開始している。
 藤澤が視察したドイツでは、例えば工場で従事者がものを置く時、ひと目で数が分かるよう整列して置いていた。事務所机の上には何もなく、棚も整理され書類も一定の場所に保管されていた。したがって各人が書類を持つ必要がなく、共用の棚に行けば何でも分かるという実に効率的な仕事の仕方をしていた。こうした取り組みを見習うべきと考え、ホンダは日本の企業としていち早く事務部門にファイリングシステムを導入した。整理の悪さは「探す時間」というムダを生む。生産現場での整理整頓は、1つの小さな部品・1滴のオイルにも目が届くこととなり、結果的に品質の高さにもつながる。能率的な仕事は、資源の有効活用とコストを抑えることにつながり、結果として、お客様に質の良い製品を廉価に提供できることに結び付く。後のホンダのさまざまなリサイクル活動にはこうした先人の「仕事の仕方」が生かされていた。リサイクルとは、突き詰めれば、とことんムダを省き、資源を最大限、有効に使うことである。

いったん工場に入れた材料は
製品になったもの以外は外に出さない

 ホンダでは、早い時期からいくつかのリサイクル活動を展開している。1958年には、本田宗一郎の「いったん工場に入れた材料は、製品になったもの以外は外に出さない」という号令のもと、大和工場(後の埼玉製作所和光工場)のアルミ鋳造工場で、切粉を圧縮・溶融し、材料に再利用する取り組みが開始された。1963年の鈴鹿製作所設立時には、アルミ切粉団鉱機を設置し、鋳造工場で発生したアルミのくずの再利用に取り組んだ。また、1973年に埼玉製作所和光工場では、軽トラックTN360の塗装工程で発生する塗装かす(塗装機械や治具に付着した塗料)をドア内側の遮音材として再利用する試みが行われた。しかし、この試みは残念ながら塗料の臭気を完全に消すことができなかったなどの原因で取りやめざるを得なかった。
 創業期の取り組みは、もの不足の中の資源節約はもちろん、材料の「ムダ」を極力抑えることで、製品を少しでも廉価にお客様へ提供する工夫としての意味も大きかった。つまり、創業のころからのスローガンである「三つの喜び(買う喜び・売る喜び・創る喜び)」に象徴される「顧客満足」の思想が、結果として環境保全にもつながっていたといえる。
 高度経済成長による産業構造の変化に伴い、都市部への人口の集中と生活の向上が急速に進んだ結果、廃棄物は爆発的に増加し始めた。それによって発生した公害が社会問題となった1960年代後半から1970年代にかけて、企業は地域環境への責任を厳しく問われた。こうした時代に、ホンダでは、いくつかのリサイクル活動への取り組みを、地域社会との調和に主眼を置いて展開した。代表的な取り組みとしては、「地下水の保全」が挙げられる。塗装排水の削減のために導入した水循環利用システムなどが取り組みの一例である。
 1970年ごろ、日本の企業では工業用水のほとんどを敷地内の井戸から得ていた。ホンダも例外ではなく、例えば、当時の狭山工場での地下水使用量は1日あたり1万トンを超えた。そのころ、地下水の利用には法的な制限がなく、無料で無制限に使えるものだったが、「水はみんなのものである」という本田宗一郎の言葉で水循環利用システムを開発。工場内で最も水使用量の多い塗装工程で採用されたレース用バッテリーに使われていたウルトラフィルターを活用した塗装排水のろ過システムで、当時の金額で3億円という費用を投じて実用化された。その結果、2023年現在は当時をはるかに超える量を使用しているが、実に約98%の水が再利用されている。
 また、水質資源保全の取り組みから派生した「出さない」活動の1つとして、メッキ工程でのニッケル・クロームの回収を行っている。1977年には鈴鹿製作所でメッキクローズド化を開始。メッキ工程の有害な廃液を全量回収し、外部の専門メーカーの手で分離、ニッケルとクロームを回収し再利用するというシステムを導入した。
 塗装工程での水循環利用システムもメッキクローズド化も、対策を行われなければ、地域社会に地盤沈下や悪臭などの公害を引き起こす原因になる。ホンダは、早い時期から問題の根幹に対処してきた。

水の循環利用を実現した電着塗装回収システム。以前は、1次・2次洗浄の水も排水していた 

水の循環利用を実現した電着塗装回収システム。以前は、1次・2次洗浄の水も排水していた 

ゆりかごから、またゆりかごへ

 「リサイクル」という言葉が地球環境保全の重要課題としてクローズアップされたのは、1980年代後半である。そのころからは、特に廃棄物処分場不足の深刻化などにより、工場で排出される廃棄物処理や使用済み自動車のリサイクル(シュレッダーダストの処理)などに早急な対策が求められるようになった。
 1990年11月、ホンダはリサイクルへの課題への総合的な対策を目指し、「資源の有効活用と再利用」の徹底を目的とした「リサイクル委員会」を発足させた。1990年から1991年にかけては、行政側がリサイクルの課題について多くの具体的な行動を始めた年だった。
 リサイクル委員会は、「ゆりかごから、またゆりかごへ」というスローガンのもと、クルマのライフサイクルの段階ごとに活動の具体的なテーマや目標を定め、社会システムの中で「実効性のある取り組み」を展開することを目指した。
 開発段階でのリサイクル(リサイクルしやすい材料を増やす・転換するなど)、製造段階でのリサイクル(歩留まりの向上・材料分離技術など)、販売段階でのリサイクル(使用済み部品の回収リサイクルなど)、このようなコンセプトによって、製品のライフサイクル全般をカバーする対応を図ることが可能になった。
 1993年5月、ホンダは取り組みの方向性を示すボランタリープランを公表した。その中で1996年に生産段階での廃棄物の量を、リサイクル活動などにより1991年レベルの50%減とすることを具体的な目標値として掲げた。この目標はリサイクル委員会と環境推進委員会との連携した取り組みによって、1995年末に1年前倒しで達成した。さらに1996年には、リサイクル委員会発足時から継続して取り組まれてきた「バンパーtoバンパー(バンパーリサイクル)」の技術を完成させている。このようにさまざまな成果を生み出したリサイクル委員会は、1996年12月をもって発展的に解散し、次のステップへと進むことになる。

全国を網羅する回収ルートとリサイクルネットワークを確立した、バンパーリサイクルトータルネットワーク

全国を網羅する回収ルートとリサイクルネットワークを確立した、バンパーリサイクルトータルネットワーク

 リサイクル委員会の研究活動の1つとして始まり、創業75年の2023年現在もなお、精力的に取り組み、業界をリードする活動となっている「バンパーリサイクル」について振り返ってみたい。
 リサイクル委員会を発足させ、使用済み部品の回収・再利用に注目したホンダは、販売会社・修理店が廃棄に困っている部品から手掛けることとした。その代表が、事故に遭って交換・廃棄されている「乗用車の樹脂バンパー」である。当時、他社ではバンパー本体にウレタン製バンパーを使用していたが、ホンダは1983年から一貫して、リサイクルが容易な熱可塑性樹脂(ポリプロピレン)のみを使用していたことも追い風となった。しかしながら、使用済みバンパーをリサイクルのために流通させる仕組みは、日本はもとより、世界でも例がなく、ゼロから実現していく取り組みは試行錯誤の連続となった。
 リサイクルの難しさは、コストをいかに低く抑えるかという点にある。使用済みバンパーのリサイクルの場合、リサイクル費用の半分以上が回収コストである。コストが高ければ再利用は難しくなるため、回収効率をどのように高めるかが大きな課題であった。
 「早い話が、捨てる方が安いから捨ててしまうわけです。この流れを変えようとするからこそ、リサイクルは大変なのです。回収するにしても再生するにしてもコストがかかる。これをいかに安く抑えるか、そして、コストが生じた場合、誰が負担するかが課題」と当時の部品部物流管理ブロックトーマス・バーガーは語った。
 1991年6月より、テスト的にバンパーの回収が開始され、同年10月から関東・甲信越を皮切りに本格化した。ホンダの場合、専用便・部品配送の帰り便・宅配便の3つの回収ルートを基本に、離島などでは一部、船便や航空便も利用して回収を行った。再生処理会社の拡大を図りながら順次回収地域を広げ、1995年11月には、沖縄県までを網羅する全国回収ルートを確立した。これは国内自動車業界で初めてのことであり、かつ最大のリサイクルネットワークとして、関係者の注目を集めた。

回収バンパーの再生材でつくられた部品配送用ボックス・E-BOX 回収バンパーの再生材でつくられた部品配送用ボックス・E-BOX

 ホンダのリサイクルの最終目標は、「ゆりかごから、またゆりかごへ」だった。つまり、バンパーから、またバンパーへというパターンの実現を目指した。しかし、回収当初は量が少なかったこと、再生材の部品適用のための耐久品質などの見極めが完了していなかったことから、回収バンパーの再生材は、まず部品部の部品配送用ボックス・通称「E-BOX」としてリサイクルされた。従来はダンボール箱を使用していたため、森林資源の節約とゴミの削減にもつながった。そして、回収量の増加に応じて研究所の材料研究部門での耐久品質適合テストが実施され、四輪車の量産部品リサイクルへの取り組みが徐々に開始された。

 当時、バンパーの再生に際し、自動車メーカー各社が頭を痛めていたのは、塗膜の除去であった。塗膜を付けたままのバンパーをそのまま粉砕・再生すると、バンパーに求められる耐衝撃性を維持したままの再生は困難であった。かといって、塗膜除去に化学的な剥離方法を用いることは、2次公害の心配が懸念される。
 この時にメンバーが課題として設定したのは、コストを考慮しつつ、塗料が付いたままの再生材を使い、①外観商品性②耐衝撃性③塗料の密着性の3点を満たせることであった。特にバンパーにとって重要な耐衝撃性については、研究を進める中で、回収材にポリエチレンを添加すればよい、ということが分かってきた。そこで、数種類のポリエチレンを使って、最適条件を得るための検討が行われた。この結果、HDPE(High Density Polyethylene 高密度ポリエチレン)を適正量添加したものが、現行の量産バンパー材と同等の耐衝撃性が得られることが判明。HDPEは汎用の樹脂材料であり、比較的安価に入手できるため、採用することを決定。100%再生材利用を可能した技術による「バンパーtoバンパー」のリサイクル技術も確立された。

サンドイッチ成形法による再生バンパー サンドイッチ成形法による再生バンパー

 また、バンパーとしての外観商品性を保つために、サンドイッチ成形法を応用することとした。これは回収したバンパーの再生材をコア層として使い、表面となるスキン層をバージン材(新材)で挟み込む成形法である。再生材の使用量が高まるほどコストは下がる。どこまで再生材を流し込めるか、そして、コア層の再生材とスキン層のバージン材の射出条件の検討が、実験とシミュレーションにより行われた。ホンダではサンドイッチ成型機を保有していないため、群馬県にある群馬昭和成形の協力を得て、トゥデイ・プレリュードのバンパーを試験的に成形。製品の大小・形状の簡単さ複雑さに関わらず、シミュレーションに近い状態で成形できることが実証された。1996年2月27日、関係者立ち会いのもと、リサイクルバンパーの量産確認が行われた。ホンダ車の中で一番大型のバンパーのサンドイッチ成形ということもあり、最適の射出条件を得るまでに少々手間取った。コスト効果を考慮すると配合比は再生材30%、バージン材70%が理想的。この日つくられたリサイクルバンパーは、補修用部品として290本が市場に出荷された。

回収したバンパーの再生材をバージン材で挟み込むサンドイッチ成形法

回収したバンパーの再生材をバージン材で挟み込むサンドイッチ成形法

 「私たちが取り組んだバンパーリサイクルは、回収バンパーの塗膜を除去せずに再生材として使用できます。したがって、ゴミを出さない、塗膜除去のためのエネルギーや2次公害につながりかねない薬品を使わないという点でも、環境問題に寄与できます。商品性・コストの面でも競争力のあるリサイクルバンパーが具現化できました。この開発は研究所のバンパー戦略の大きな柱の1つであり、次のステップにつなげていきたい」と開発メンバー青木修(栃木研究所第四研究ブロック(当時))は語った。
 1991年から1996年までの使用済みバンパー回収累計は約55万本(2,200トン)。1998年には、月平均回収量50トンから60トンの使用済みバンパーが、100%ホンダの自動車部品に再利用されている。離島を含む全国47都道府県の回収ネットワークによる自己完結型リサイクルシステムの完成であり、販売会社の自主参加方式により、業界ナンバーワンの回収率を誇るまでになった。そして、この取り組みは他社にも波及し、同様の試みが行われていった。

バンパーリサイクルの進展に立ちはだかる大きな壁

 ホンダはその後もバンパーリサイクルを進化させるべく取り組みを続けている。1998年には量産用バンパーへの適用が始まり、使用済みバンパー材を100%使用した無塗装バンパーの導入へと着実に進展を遂げてきた。
 しかしその後、大きな壁が立ちはだかった。まずは回収材を分別するという壁である。回収されたバンパー材には、通称旧材といわれるG5材、新材といわれるG6材がありそれが混在していた。それらを分別しなければ一定の品質が保てないため、その作業に難航した。
 また、回収される側の販売会社にとっては、交換したバンパーは廃棄物であるため、一般の回収業者より高い値段で買い取る必要があることも壁となった。販売会社の中には、買い取ってもらい事務手続きの手間をかけるより、捨てる感覚で簡単に持って行ってくれる業者を選ぶところもあり、値段だけで解決できないことも回収を難しくした。当然コスト増につながるので、ホンダが委託するリサイクル業者の近くにある販売会社から回収に着手し、できるだけ輸送費をかけないでコストを抑える工夫をしながら回収エリアと量を徐々に拡大した。世界的なリサイクルへの関心の高まりを背景に、回収に協力する販売会社も増加しつつあり、ペットボトルのリサイクルがそうであったように、やがて、回収するバンパー材が足りなくなる時代が来ると、担当者は将来を見据えていた。
 そうして回収と分別に熱心に取り組む一方で、社内的ないかんともし難い壁が立ちはだかった。輸送費をかけて分別し、再生処理するリサイクル材は、当然ながらバージン材よりコストが高くなる。それを理由に、突如生産部門側が生産計画の中にリサイクル材を入れないという判断をしたのだ。これでは回収してきたリサイクル材が在庫の山になってしまう。その在庫の山をどうするかが問題となった。2018年8月、この状況でリサイクル部門の責任者になった橋本英喜(カスタマーファースト本部 資源循環推進部 部長(当時))は、いきなりリサイクル材の在庫を外部の業者に販売するかの判断を迫られた。それも早急にである。
 「外部に販売するのはいいが、状況によってリサイクル材を使ったり使わなかったりするというのはもう事業じゃない。ホンダとしてリサイクルバンパー事業をやるのかやらないのかという判断になる」と橋本は訴えた。回収したリサイクル材を外販するのであれば、それはホンダが取り組むリサイクル事業とはいえなかった。リサイクル事業全体を把握しないまま、各部門最適の判断をするとリサイクル事業は成立しなくなる危機が常にあるという現実が顕在化した。
 結局は部門縦割りの売り上げ管理の壁があり、俯瞰的な判断が存在しないことで起こっていた問題だった。要は、使用する材料のコストを管理する購買部門・回収輸送費の管理をする販売会社部門および部品事業部門、これらが個々で判断するとコスト的にリサイクル材を使用しない方がいいという結論になるのは当然だった。ある部門の黒字で別部門の赤字を埋めることはできない。
 その時、日本本部長(当時)の寺谷公良が「これはやめられないのだろう」と全体会議で発言した。そして、回収輸送費を販売会社部門および部品事業部門で飲み込んでくれたのである。これにより、リサイクル材のコストは再生処理費だけとなり、バージン材と戦えるコストとなった。リサイクル材は回収量が部品交換の発生率に左右されて安定せず、コストが変動するためバージン材が有利になる可能性もあり、常に見直し続けなければならないが、寺谷のひと言で、生産側での受け入れ可能なコストとなり、在庫の山は回避された。
 橋本は「やめるのか?続けるなら続ける理由を言え」と言われていた時期もあった。どう工夫してもコストの大幅減が見込めない中、そこであきらめて「やめます」と言わなくてよかったとつくづく思った。やめずに続けたからこそ、今回の運用に至ったのだ。踏ん張ることができたのは、リサイクル部門に受け継がれ続けてきた「地球規模で環境を考えれば、リサイクルは欠かせない」という強い想いだった。OBの陰ながらのアドバイスも支えになったという。
 ホンダには、苦しみながらも踏ん張って戦っていると、どこからか助けてくれる人が現れるという不思議なジンクスがあった。このバンパーリサイクルでは、寺谷が「助けてくれる人」となった。環境への意識の高まりの中、これはやるべきという俯瞰的な判断だ。こうした後ろ盾があって、ホンダのリサイクル事業は継続された。

「もう一度使えること」への挑戦

「環境負荷ゼロ」の循環型社会を目指す行動指針「Triple Action to ZERO」 「環境負荷ゼロ」の循環型社会を目指す行動指針
「Triple Action to ZERO」

 2021年4月、ホンダは、環境への取り組みに関するスローガンとして「Triple Action to ZERO」を設定し、環境負荷ゼロを目指してさらに取り組みを加速することを宣言した。その具体的な取り組みとして、環境負荷のない持続可能な資源を使用した製品開発に挑戦すべく、2050年までの「サステナブルマテリアル使用率100%」を宣言。資源調達段階から廃棄段階に至るまで環境負荷ゼロを目指し、社内および社外のステークホルダーと協力し、連携しながら全社的な取り組みをスタートさせている。

 リサイクル部門においても、バンパーリサイクル材をアンダーカバーに使用する取り組みに着手し、リサイクル材が足りないという状況になっていた。さらに、バンパーのようにリサイクルしやすい材料だけを対象とするのではなく、インテリアを構成している多種多様な樹脂なども視野に入れていかなければならない。それらは2023年現在、いわゆるシュレッダーダストとして廃棄処分されているからだ。
 そして、長年取り組んできたバンパーリサイクルにも1つの光明があった。
 すでに述べたように、塗装を剥がさずに処理するバンパーのリサイクル材には、塗膜が細かな粒となって混ざっており、光を当てるとキラキラと輝く。輝くだけでなく、塗装で隠しても、どうしてもわずかな凹凸が出てしまうため、外観として見える部分の表面材には使えず、サンドイッチ構造のコア層に使うしかなかったのだ。これまで開発部門から、「使えない」と言われ続けたのはそういう理由からだった。
 しかし、「ぜひ、バンパーの一番目立つ部分に、塗装せずそのままリサイクル材を使いたい」という若いデザイナーが現れた。バンパーはボディーと同じに見えるように塗装することが一般的だが、そのデザイナーは、塗装を施さないリサイクル材のキラキラするところがいい風合いであるという。この新たな視点は、リサイクルに携わり続けた担当としてはにわかに信じられない出来事だった。
 かくして、バンパーリサイクル材が無塗装のまま、バンパーの中央部に使われることが決定した。2024年以降登場する新たなモデルに採用予定である。
 世の中もホンダも、環境への意識は飛躍的に高まっている。やがて、リサイクル材を使うことが当たり前の時代が来るのかもしれない。あきらめずにバンパーリサイクルを続けたからこそ、この新しい動きが生まれたのだ。ホンダは、これからもリサイクルに情熱を持って取り組み続けていく。

フリードに、回収したバンパーの再生材をアンダーカバーとして使用

フリードに、回収したバンパーの再生材をアンダーカバーとして使用