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RA122E/B

1992McLaren Honda MP4/7A

車体性能にも寄与した究極のV12

1992年はHonda第2期F1活動の最終年になった。このシーズンにHondaがマクラーレンへ供給した改良型V型12気筒エンジンがRA122E/Bである。

この年をもってF1活動の最終年とする決断を下したHondaは、ライバルたちとの拮抗した戦いを想定し「圧倒的な性能を発揮するV12エンジン」を目指してRA121E/Bの研究開発をおこなった。主要諸元は、エンジン全高を20㎜下げるためにVバンク角を75度に変更し、ボア×ストロークは88.0×47.9㎜の3496ccである。吸排気系をコンパクトにまとめ補器類の位置も入念に検討し、車体の空力デザインに合わせたエンジン形状を実現したのが特徴で、前年のRA121Eから採用した可変吸気管長システムに加え、空気圧バルブスプリング(ニューマチックバルブ)と5分割スカベンジング・システム、軽量マグネシウム合金鋳造ロワケース、さらにはF1エンジンとしては前例のないモーター駆動スロットル・システムであるドライブ・バイ・ワイヤを採用した。またVバンク角75度の決定の前に、66度のV12エンジンも開発されていたという。

こうした変更や新規の機構の採用とともに細部にいたる最適化と材質変更などをほどこしたRA122E/B は、最終的に774馬力/14,400rpmの出力を発揮した。

第2期活動最終戦で有終の美を飾る

この年シーズンになると、レースの勝敗は車体各部の電子制御技術やシミュレーション技術によるものが大きくなり、Hondaも5年間の研究開発期間をかけた独自のアクティブサスペンション・システム、同じく2年間をかけたセミオートマチック・トランスミッション、3年前から研究に着手したサーキット・シミュレーション・システムなどをマクラーレンと共同開発することとした。こうした車体側の電子制御技術やシミュレーション技術の実戦導入については、チームとしてライバルに遅れをとったところが目立ってきたからである。

なかでもセミオートマチック・トランスミッションはモーター駆動スロットル・システムとあいまって高いレベルに仕上がり、最適なエンジン制御とスムーズなギヤシフトが可能になった。しかしアクティブサスペンションについては必要十分な共同開発ができなかったこともあり、1992年中の導入は見送ったままF1活動を終了せざるを得なかった。

シーズン序盤にニューマチックバルブの熟成などに手間取ったこともあり、Honda RA122E/Bは16戦中5勝にとどまり、残念ながら両選手権ともタイトルを獲得することができなかった。しかしながら、開発を重ねたRA122E/Bはグランプリを重ねるごとにパフォーマンスを増し、最終戦オーストラリアGPではゲルハルト・ベルガーが優勝。第2期F1活動の有終の美を飾ることができた。

Hondaは第2期F1活動において、10年間で合計150レースに参戦し、69勝を挙げ勝率は46%であった。活動休止にあたり、その後のF1活動は無限に譲ったが、RA122E/Bはシステムの複雑さや運用コストの高さなどから無限への開発移行は見送られ、1992年をもってその姿を消した。

McLaren Honda MP4/7A