製品
「Honda・テックマチックシステム」(以下、テックマチック)は、手足の不自由な方へ向けた運転補助装置です。1976年、初代CIVICへの搭載以来、Honda純正アクセサリーとして開発・生産を続けています。2024年3月、テックマチックユーザーと、本田宗一郎の理念のもとに設立されたHondaの特例子会社であるホンダ太陽の従業員を招いての試乗会を実施。開発責任者を交え、テックマチックを通じてクルマの未来を考えます。
1984年入社。様々な車両のブレーキ設計、四輪車開発チームのシャシー設計プロジェクトリーダーを担当。LEGEND(Acuraブランド名: RLX)、NSX、NSX Type Sの車両設計開発責任者を務め、現在はテックマチックシステムの開発責任者。
――テックマチックシステムとはどのような製品なのでしょうか。
――これまでLEGEND(レジェンド)やNSX(エヌエスエックス) の設計責任者を歴任されてきた井上さんは、どのような想いでテックマチック開発に携わっているのでしょうか。
当時はその時々に関わっていたモデル開発に集中していたので、福祉車両やテックマチックのことは全く理解していませんでした。テックマチック開発にあたり、自分なりに障がいをお持ちの方々、福祉車両、その装置がいかに世の中で必要とされているかなど、調べて理解を深めるにつれ、「これは本当に人の役に立つものだ! ヨシ! これは俺がやろう!」と、気持ちにスイッチが入りました。今ではこの開発が私の使命と思って取り組んでいます。
――日頃から運転補助装置を使用している方を試乗会にお声がけした理由や狙いは何でしょうか。
大分県にある「ホンダ太陽」は、「Hondaのものづくりを通じた、障がいのある人たちの社会的自立の促進」という理念のもと、1981年に設立された特例子会社です。まずは三現主義に基づき、同じHondaグループで働く仲間のリアルな声を直に聞きたいという思いで機会を設けました。
一般ユーザー代表は、FIT(フィット)オーナーの松田まりやさん。2代目、4代目とFITを乗り継いで、16年間で累計26万キロ、地球6.5周分になるんです! 日本随一のテックマチックユーザーだと思います。
これまでに実施したユーザーインタビューでも、開発サイドで考える提供価値とのギャップを感じたことが多々ありました。今回の機会は、通常のクルマ以上にリアルユーザーの方々に試乗していただき、意見を伺うことが大切だと思い設けさせてもらいました。
――皆さんが普段乗っているクルマについて教えてください。
私はずっとFIT一筋です。他のクルマも検討したのですが、圧倒的に車内のスペースを広く感じられたのがHonda車でした。そして何より、FITの運転補助装置であるテックマチックが、メーカー純正アクセサリー※なので心強いです。
※現在、Honda・テックマチックシステムはFITにのみ搭載
私は自分の車いすが折りたたみ式ではなかったので、乗降のしやすさや車載スペースを確保することなどを考えて、スライド式ドアのODYSSEY(オデッセイ)にしました。他社製の補助装置を付けて7年目です。
補助装置を使った運転を始めてから、10台以上クルマを乗り換えています。今はHonda車に、他社製の補助装置を付けて乗っています。
――テックマチックシステム搭載車の試乗を終えての感想を聞かせてください。
現行の乗り心地には十分満足しているのですが、私は座高が低いので、他の方に比べて少し下側からグリップを握ることになります。そのような場合に、しっかりと指がかからないボタンがないか、今後もそういった点が気にならなければいいなと感じましたね。
運転中はたくさんの情報が感覚的に入ってくるので、動かしてみてシンプルに「気持ちいい」ことは大事ですし、やはり純正アクセサリーは信頼感がありますね。
足のペダル操作、手のレバー操作でそれぞれ得られるアクセル/ブレーキの感覚は全く違います。ですので、手の操作で感じるレバーのストローク、手応え、クルマとの一体感といったコントロール性を追求することで、負荷が少なく、意のままに操れる仕様を試行錯誤しています。
あと、補助装置を付けて運転している車いすユーザーたちでよく話すのが、「なるべくシンプルで、目立たない装置にしてほしい」ということ。その気持ちもわかるのですが、今回の試乗を通して、「この補助装置が一番かっこいいから、Honda車を買おう」と、テックマチックありきのクルマ選びがあってもいいなと思いました。
――テックマチックシステムの開発における課題はどんなところにあると考えますか。
行政が公表する情報によると、下肢障がいを抱えた方は全国に123万人ほどおられます。そのうちの20万人が運転免許を持っていると言われていますが、実際に運転をされているのは6万人ほどで、免許取得者の半分にも満たないのが現状※。これには、運転をすることに対して、ご家族の反対があるのも一因と言われています。ですから、クルマにあらかじめ搭載されている先進安全装備と連携する補助装置を提供することで、ご家族を含めて安心感を持って選んでいただく、一つのきっかけになってほしいと考えています。
※Honda調べ
――その想いは、Hondaが「2030年ビジョン」で掲げる“すべての人に、「生活の可能性が拡がる喜び」を提供する”に通じているように感じます。
私自身はそこまで深く捉えていないと思っていましたが、テックマチックの開発に携わる中で、「すべての人」の中には身体にハンディキャップがあっても運転したい方々がもちろん含まれていなきゃいけないし、我々はそれを実現するシステムをつくらなければいけないと思い至って。そのときふと、見据える先は同じなんだと気づきました。
「車いすに乗っている人でも運転できる」こと自体を知らない方は多い気がします。私が(助手席に収納した)車いすを運転席側のドアから外に降ろし、運転席からその車いすに座ろうとするところを見て、びっくりされる方はたくさんいますよ。社会的な認知度はまだまだ低いんですね。
今の私の夢の一つが、テックマチックをメジャーな存在にすること。クルマ業界に限ったことではないのですが、福祉商品の開発は社会的意義がある一方で、事業性との両立が難しいというジレンマを抱えています。最新の製造技術や材料を駆使して良いものをつくることでユーザーを増やし、そこに関わる企業できちんと事業化できれば、開発が加速し、ユーザーにより良いものをお届けできるようになる。関わるみんながウインウインになればと考えています。これは、Hondaの基本理念である「三つの喜び」※に通じることではないでしょうか。
※買う喜び、売る喜び、創る喜びを共に実現し、社会の期待に応えて喜びをさらに高めていくこと。
――日々運転している皆さんは、より多くの人にテックマチックシステムが利用される社会をどう思いますか?
私は物心ついたときから車いすでの生活だったので、いつも誰かに助けてもらわないと移動ができなかったんです。でも、クルマを手にしたときに初めて「これからは私が運転して、誰かを行きたいところに連れて行ってあげられるんだ! 自分も誰かの役に立てるんだ!」と心が躍りました。クルマに乗ることで自信が持てて、自由に、行きたいところに行ける。本当に「翼が生えた」ような感覚になれたんです。だからもっと広まってほしいです。
クルマに乗れれば、生活の自由度はグッと広がりますよね。ホンダ太陽の同僚でソロキャンプに行く人を知っているので、楽しめる趣味の可能性も広がるのだと感じています。
クルマで出かけるときには、ストリートビューで行く先の店舗の外観を確認したり、Google Earthの上空写真で車いす専用駐車場の有無を調べたりします。最近は、「これも、クルマに乗る楽しみだな」と、移動の喜びを感じるようになりました。
――最後に、皆さんそれぞれが考える未来のテックマチックはどんなものなのでしょうか。
目の動きだけで操作ができるパソコンや楽器の技術をクルマの運転に転用できないかな、と思うことがあります。さらに、思考するだけで操作できるようになると、より多くの人が運転できるようになりますよね。
現実的な希望としては、グリップのマテリアルが変えられたり、オプションの装置が選べたり、自分のドライブスタイルに合わせて選択できると楽しいですね。
超高齢化社会となっている今、テックマチックシステムはその受け皿にもなれると思います。ペダルかグリップか、運転方法を選べるようになると素敵。「あなたはペダルでの運転? 私はグリップだよ」なんて未来がきたらいいですよね!
テックマチックは、変化し続ける時代に則しながら、その時々の装備や制御を有効活用するシステムでありたいですし、電動化への対応も必要です。それによって、ディーラーでドライブフィーリングを自分好みに書き換えることもできるようになるでしょうし。そうした進化の中で、多くのHonda車に展開できて、誰もが便利に使える補助装置にしていきたいです。これからも、使って喜んでくれるお客様の笑顔を原動力に、意志を持って動き出そうとするすべての人たちの夢を支える商品を開発していきたいです。
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福祉車両には、身体が不自由な方や高齢者を乗せて送迎などを行う「介護式」と、身体が不自由な方ご自身で運転するための補助装置が付いた「自操式」があります。Hondaは1976年に、手足の不自由な方向けの運転補助装置「Honda・テックマチックシステム」を発売し、長きに渡って「自分で運転したい」という想いをサポートしてきました。今回の試乗会には、コントロールグリップを手前に引くとアクセル、前方へ押すとブレーキが作動する、左手だけでアクセル/ブレーキ操作が可能な、両足の不自由な方向けの手動運転補助装置<Dタイプ>を用意しました。