伝説の軌跡

モンテカルロ最終盤の伝説バトル

1992年5月31日第6戦 モナコGP(モンテカルロ)

ニューマシン投入も形勢不利は変わらず

1992年、マクラーレン・ホンダは信頼性と実績を重視して、前年マシンの改良版であるMP4/6Bで開幕戦南アフリカGPに臨んだが、すぐにウイリアムズ・ルノーに戦闘力でまったく敵わないことが判明する。F1マシンの速さのトレンドは、それまで最重要とされたエンジンパワーだけではなく、空力デバイスや電子制御を多用した車体性能の追求にシフトしていたのだ。急遽前倒しでMP4/7Aを第3戦ブラジルGPから投入した。しかし、状況を変えるには至らず、ウイリアムズのナイジェル・マンセルに開幕から5連勝を許すこととなった。劣勢を強いられたマクラーレン・ホンダとアイルトン・セナは、予選でも大きくタイム差をつけられ、開幕戦と第5戦サンマリノGPで3位表彰台を獲得するのが精一杯という状況だった。

迎えた第6戦モナコGPでもウイリアムズの勢いは変わらず、マンセルが6戦連続のポールポジションを獲得。セナは2位につけるもその差は大きいものだった。決勝レースでは独走するマンセルを追うセナだが、その差は引き離される一方の展開となった。懸命にマシンをコントロールするセナだったが、手も足も出ない展開が続いていた。しかし、そのままレースは終わらなかった。78周レースの残り7周となり、マンセル車の左リヤタイヤに異変が起こった。このままでは走れないと判断したチームとマンセルはピットインを決行する。トラブルの原因だったタイヤを4輪とも交換し、ピットから猛然と飛び出すマンセルを、1コーナーを目指して疾走するセナが抑えてトップについに立った。

セナvsマンセルの息詰まる攻防戦

ここからマンセルの猛追が始まり、セナは必死に逃げを図るがその差は少しずつ縮まっていった。トップに立った時には5秒以上あったマージンは、周ごとに4.3秒、1.9秒と縮まっていく。残り3周で、遂に2台はテール・トゥ・ノーズ状態となった。マシンとタイヤの差を考えればセナの不利は明らかだった。しかしタイトな市街地コースの性格上、コース幅は狭く抜ける場所はほとんどないのが現実。背後からプレッシャーをかけ、セナのミスを誘発させようとするマンセルだったが、逃げるセナも要所要所を締め巧みなブロックで付け入る隙を与えない。残り2周、残り1周、誰もが固唾を飲んで見守るなか、セナは追いすがるマンセルを0.215秒差で抑え切り、シーズン初優勝を飾った。

セナにとっては伝統のモナコで通算5勝目となり、故グレアム・ヒル(F1チャンピオン/インディ500優勝/ル・マン24時間優勝という史上唯一のトリプルクラウン・ウイナー)が持つモナコ通算5勝の記録に並ぶ価値ある勝利だった。

モナコGPの表彰は他のグランプリとは異なり、コントロールラインの向かいに設けられた貴賓席にて、レーニエ大公と皇族らから称えられるのが慣わしで、セナが勝者としてここで栄冠を受け取るのもこれで5回目となった。一方、ウイリアムズのコクピットから降りたマンセルは全力を出し切り疲労困憊の様子で、セナに近づいて勝利を称えた後コース上にへたり込んだ。両者は全力を出し尽くし、フェアに戦い、緊迫のレースを演じ切った。この終盤の大接戦は、モナコの名勝負として語り継がれている。