
エアバッグ開発陣にインタビュー
「使われないこと」が理想となる装置
矛盾をはらむ開発陣の想いとは?
クルマの安全デバイスのひとつであるエアバッグは、普段は乗員の目に触れることなく、車内インテリアの中にその身を潜めている。乗員にその存在を強く意識させることなく、いざという時は乗員を守る。エアバッグは、縁の下の力持ち的な存在であると同時に、「使われないこと」が理想的であるという、ある意味矛盾を抱える装置は、どのような想いで開発されているのだろうか?
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ICE完成車開発統括部
車両開発二部 キャビン開発課
アシスタントチーフエンジニア
藤巻 傑さん - 2004年入社して以降の20年間、エアバッグ開発に携わり続けている。担当モデルはステップワゴン、WR-Vなど。

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ICE完成車開発統括部
車両開発二部 キャビン開発課
アシスタントチーフエンジニア
黒沢 卓さん - 2005年入社。軽自動車をメインにエアバッグ開発を19年間担当。エアバッグのほか、過去にはインパネ関連の開発にも従事。

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BEV完成車開発統括部
BEV車両開発二部
HMI ・空間価値開発課
アシスタントチーフエンジニア
関 諒介さん - 2012年入社。5~6年前より、衝突安全の部署からエアバック部門に異動。担当モデルは新型ZR-Vなどで多数。

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BEV完成車開発統括部
BEV車両開発二部
HMI ・空間価値開発課
スタッフエンジニア
早川 遼さん - エアバッグ関連メーカーから中途入社して以降、エアバッグ開発に配属。担当モデルは2020年フィット、フリードなど。

エアバッグの開発に、苦労話はない!?
1987年、ホンダは「レジェンド」シリーズに国産車として初めてSRS(サプリメンタル・レストレイント・システム)エアバッグを採用。それから約37年の時を経て、SRSエアバッグは運転席だけでなく、助手席、サイドカーテン、前席サイド、そして運転席および助手席ニーと、適用範囲を広げつつ普及していった。個々のモデルに最適な構成を与える必要があることから、現代のSRSエアバッグはある意味オーダーメイド的に開発されるのが常だ。
現在、エアバッグの開発メンバーは、どのような経緯でそこに携わるようになったのだろうか? また、開発にあたっての苦労するポイントはどこにあるのだろうか?
黒沢: 入社時は、とにかく設計に関する配属を希望していました。配属前に研修を受ける中で、「安全」に関わる部署を希望しました。自動車は便利な道具と考えていて、使う人が危険な目にあってはならないと思うようになり、エアバッグを希望しました。
藤巻: 当初は人工(人間工学)の方へ行きたいと思っていました。その希望を会社に伝える際に「人工で使いやすさを追求することは、安全にもつながる」というプレゼンをしました。すると、「安全」の部分が取り上げられて、エアバッグの開発になったのだと思っています(笑)。それから20年間、エアバッグ開発に携わっていますが、とてもやりがいある仕事だと思っています。
関: 私はクルマ乗ったりするのが好きなタイプなので、シャーシかボディが良いですと言ったら、衝突安全に行くことになりました。
早川: 私は中途採用で、前職でもエアバッグやシートベルト含めて安全に関わる仕事をしていました。F1が好きでしたので、転職時にはF1に関係ある企業を探す中で、Hondaに転職しました。

関: エアバッグ開発の苦労話……というのは思いつかないですね(笑)。(藤巻さんに)S660のようなオープンカーはちょっと大変ですかね? 屋根のあるモデルと比べて、開発ががらりと変わることはないと思いますが、デザイン的なこだわりが強いので、苦労があるかなと思ったのですけれど?
藤巻: オープンカーだから……というわけではなく、安全なクルマの開発のために屋根があってもなくても粛々と開発を進めるだけ、という感じです。
黒沢: 軽自動車のエアバッグ開発は私が全般的に担当していますが、軽自動車は比較的車体のノーズ部が短く、車幅が狭いために車内空間も狭くなります。それゆえの開発の難しさはもちろんあります。ですが、軽自動車は日本独自の規格なので、海外規格を考慮せずに専念して開発できるとも言えます。軽自動車についても、エアバッグ設計の方向性は普通乗用車などと大体同じです。
早川: 開発期間についても、各モデル開発の日程に合わせて決まります。エアバッグ開発の遅れで、開発全体の足を引っ張ったことはないですね(笑)。
理想のインテリアを実現しながら、
エアバッグの機能を発揮するために
1990年代以降、補助拘束装置の位置付けでSRSエアバッグは一般化していったが、その効果はシートベルトを正しく着用してはじめて発揮される。そのためSRSエアバッグ開発は、シートベルト開発と密接な連携のもとに進められる。事故発生時以外、乗員が目にすることのない安全装置というのがSRSエアバッグの特徴ではあるが、各インテリア部品の中に収納されるため、その開発はインテリア開発と共同で進めることも求められる。
関: インテリア開発側から、こうして欲しいというリクエストはたくさんあります。デザイン、レイアウト、それらの要求を踏まえて開発するというのは、我々にとって通常のルーティンですから。
藤巻: 昔、カーテンエアバッグが採用され始めた頃は、ほかの開発の方々にこういうものですよ、と説明しながら開発を進めました。その頃はエアバッグの配置や搭載方法も探り探りで開発していたこともあり、比較的優先度が高い位置づけとなり、「一等地」に置かせてもらえました。一方で最近は、エアバッグに対するほか開発部門の「理解」も深まったので、必要なスペースが理解され、収めるように要望されるスペースも変わってきている、ということはあります……ある意味、段々と我々の肩身が狭くなりました(苦笑)。
早川: インテリアの仕上がりに悪影響を与えないように、よし! がんばるか!という感じでエアバッグを開発しています。
関: エアバッグを小さくしてほしいという要望は多いですが、物理的にこれ以上小さくならないという限界はあります。例えば、洗濯物をたたむことをイメージしていただきたいですが、同じようにたたんでも、たたんだ後のサイズって、ばらつきが大きいですよね? エアバッグは布ものなので、型を使って作る樹脂部品やプレス部品ほどには、サイズを揃えられないのです。1ミリ~2ミリの戦いをほかのパーツのデザイナーとしつつ、僕らの方はしっかりエアバッグをたたむ。開発する中で、1ミリ小さくできるのかできないのか、できないならほかにどんな工夫をするのか、判断しなければならない場面があります。その判断するためのノウハウが僕らの資産で、重要なところかと思います。
早川: サイズに関連した話題になりますが、車両1台に入っているエアバッグ総重量は、大体15kgくらいです。軽量化には取り組んでいますが、火薬を使ったインフレータと缶とその蓋のような構造なので、それに軽量のため穴開けするとか、本当に細かい対応がメインになります。現在のエアバッグの重量については、要求される性能を満足させながら、最小限となるように軽量化できていると思います。
関: 小型化や軽量化だけでなく、エアバッグシステム全体の進化について、日々検討を重ねています。実際の使われ方を考え、現実に則した「リアルワールド」 で考えた時、今のシステムは100点満点とは言わないまでも、Hondaの持つ技術で出来得る限りの安全性能を提供しています。さらに大きく進化させるために、新しいアイデアを模索していますが、現在のエアバッグシステムの完成度は非常に高く、簡単ではありません。10年目くらいの若輩者としては、先人たちの知恵はやはりすごいという感想です。ただ、進化の可能性については、引き続き追求したいと思っています。乞うご期待ください!

早川: ちなみに、エアバッグの寿命やメンテナンスについてですが、保証年数というものを定義していて、15年です。少なくてもそれまでは放置していても劣化はなく、性能をキープできているので、その間にメンテナンスは一切不要です。さらに実際は、定義している15年より厳しく負荷を与えて劣化がなく、必要なスペックが発揮できるようにつくっています。実際、市場回収品を確認してみても、出荷時から状態が変わっていることはありません。それくらいのレベルで管理されています。
関: エアバッグの状態については、システムのエラーは警告灯で判別できます。安心して使って……使ってとは言わないですね(苦笑)。安心して、お乗りください。
エアバッグの開発は、童心的な「厨二心」をくすぐるもの?
常時機能はしない。しかし最後の最後…不測の事態には確実に機能することが、SRSエアバッグには求められる。そして普段は、その存在を乗員に強く意識させてはいけないSRSエアバッグは、自動車の構成部品の中でもかなり特殊な部品と言えるだろう。滅多に人の目に触れることのないSRSエアバッグを、コツコツと日々研鑽する開発者たちは、何をモチベーションに励んでいるのだろうか?
早川: 前職時代、ほかの自動車メーカーとやりとりしていた知り合いからは「やっぱりホンダはおかしいよね」と言われることが多かったです……これ、褒め言葉ですよ(笑)。前職の頃、いっしょに仕事をする中で、Hondaの人たちはこだわりが強いなと、私も思っていました。
黒沢: エアバッグの開発にあたり、各国各地域の法規や、アセスメント対応をしていれば充分、という考え方もあると思います。ただHondaは人を守ること……基本的にデータや数字だけではなく、現実世界、「リアルワールド」を考えて人を守らないといけない、という意識と思想が強いですね。
関: シートベルト開発と同じですが、法律や第3者評価では規定されていない領域まで考えるという思想ですね。そういう観点が「リアルワールド」だと言われて、開発者として育ちました。この考えは、Hondaの中で伝統的に受け継がれています。
早川: 法規やモードは調査の結果などから決まりますが、すべての乗員が正しい姿勢で座っているわけではないのが現実です。法規をクリアした上で、例えばシートのスライドが20ミリずれたらどうなるか? あらゆる可能性に備えるという考え方です。
藤巻:
入社後、先輩に「自分の大事な人を考えて設計しろ!」と言われて常に意識してきました。入社した当時であれば自分の親を想定していましたが、自分の家庭を持ってからは「妻や子供たちを乗せたらどうなる?」「自分が乗っていない時に家族が事故に遭ってしまったら?」と考えるようになりました。誰にも事故には遭ってほしくないですが、万が一事故に遭っても、エアバッグによって助かってほしいと思っています。
海外のユーザーから安全レターというものが届けられるのですが、その中に事故に遭ったけどエアバッグのおかげで助かった、と書いてあるのを読むと、この仕事をしてきて良かったな、と思いますね。

早川:
エアバッグ開発のやりがいについては、大きく2つに分かれるのではないかと思います。ひとつ目はNCAP(新車アセスメントプログラム)の試験で結果が公になって、我々の狙った通りの点数が出た時です。もうひとつは、デザイン側との押し問答とか、商品性を上げるためにほかの部品担当と協議しながら何とか作り上げることですね。例えばドライバーの視認性を上げるためにインテリアのレイアウトを考案する時に、エアバッグの存在がその妨げにならないようにする場合などです。
エアバッグ本体は目に見えることはありませんが、ほかの部品がエアバッグ側の工夫の結果によってより良い形になった、というものがクルマのあちこちにあって、それが完成することが、モチベーションになります。
関: NCAPの話がありましたが、NCAPは客観的な物理事象の話です。例えばジャーナリストの方やお客様が乗って、走りの話をするのはすごく主観的な判断です。一方、定量的に物理値としてNCAPは結果が出てくるので、わかりやすくて良いと私は思います。衝突安全はなかなか体験することもないし、体験してほしくないのですけど、いわば陰に隠れている技術を深掘りしているという楽しさは、すごくあります。
黒沢: エアバッグは使われないことが良いという部品ですが、使った時にはちゃんと機能して、乗員を守らないといけません。だから切り札……縁の下の力持ちのような存在なので、その開発に携わることは、ちょっと「厨二心」をくすぐられますね(笑)。最後の最後に登場するヒーローみたいな。そんな妄想をしながら仕事しています。

関: ユーザーから送っていただいた安全レターや事故の写真を見て、命が守られたことがわかると、やっぱりいろんなことを考えてエアバッグを設計して良かったと思いますね。密かに「大袈裟に感謝していただかなくても大丈夫ですよ、これくらい想定内です」と思ったりすることも(笑)。確かに、そんな「厨二心」を満たせるところが、開発のモチベーションになっているところはありますね。