
なぜオリジナルフォントを?
「Honda Global Font」開発背景
未来を描くべくブランドとしての一貫性を
―2023年、「The Power Of Dreams」に「How we move you.」が加わり、グローバルブランドスローガン(GBS)が再定義されたことを機に、Honda独自のフォント開発がスタートしました。なぜフォントが必要だと考えたのでしょうか?
GBSの再定義を起点とした、一貫性を持ったブランディングを行っていくために、「Honda Brand Movie」や「Brand Playbook」(社内マニュアル)などのブランドアセットを拡充してきました。今後も展開していく様々なアセットに、Hondaオリジナルのフォントを開発し使っていくことは、ブランドとしての一貫性を高めていくために不可欠だと考えました。
ものづくりの姿勢に共鳴し、開発パートナーはモリサワに
―フォント開発はどのようなチーム体制で、どのようなプロセスで進めていったのでしょうか?
大石
Hondaからは、私を含むブランドコミュニケーションセンターのデザイナー4人が参加しました。欧文フォントの開発はモリサワの樽野さん、和文フォントの開発は本間さん、そして和文フォントの監修は字游工房の鳥海さんにお願いしました。
制作プロセスとしては、2023年秋頃から、社内のフォント環境や使用状況の調査を始めました。並行してモリサワさんとのコンタクトを開始し、既存フォントを起点にいくつかの方向性を提案していただきながら、我々もコンセプトを模索していきました。2024年夏頃には正式にモリサワさんへ依頼し、フォント開発がスタート。最初に欧文フォントのデザインを行い、それを追いかけるかたちで和文フォントのデザインを進めていきました。
―ちなみに、書体設計士として45年のキャリアを持つ鳥海さんですが、10代の頃はカーデザイナーを目指していたとか。
鳥海
子どもの頃からクルマが好きで、名古屋に住む親戚のクルマに乗せてもらった時のうれしさは今でも忘れません。それからレーサーや整備士にも憧れていましたね。プラモデルもクルマばかりつくっていて、かつて1/12スケールのHondaのF1マシンが出た時はとてもうれしかったですね。そうしてカーデザイナーを目指して美大に入ったわけですが、プロダクトデザイナーにはなれなくて、グラフィックデザインを学ぶ中で文字というものに出合い、書体設計士となったわけです。
―クルマと書体のデザインは、どちらも繊細なラインのスケッチが重要ですし、デザインの考え方に共感する部分もありそうですね。
鳥海
積み上げ型のものづくりをされているからか、今回のフォント開発は、コンセプトが固まってからスムーズに進めることができたと思います。さらに他部署の社員からも意見を拾い上げながら、一つひとつを丁寧かつスピーディーに決めてくださって。すごいなと感じていました。
コンセプトの基盤となる「O」の設計
幅広く活用できるフォントとは?
―どのようなコンセプトでフォント開発を進めたのでしょうか?
大石
Hondaのものづくりの根幹には「人中心」思想があります。モビリティに求められる本質的な「機能性」を土台に、一人ひとりの強い「意志」を想起させるフォントというグランドコンセプトを設定しました。機能(Function)の面では、クルマやバイクのインフォメーションディスプレイなどに使う時に欠かせない「瞬間認知性」や「識別性」、長文で使用した際の「文章の読みやすさ」、この3つの観点を大切にしています。
大石
個性(Modern &
Crafted)の面では、「Stance」「Motion」「Detail」の視点でデザインをつくっていきました。具体的には、一文字ずつの凛として安定した佇まい、秘めた自信を感じさせる迷いのない筆の運び、末端まで意識が通った丁寧な所作を表現し、全体としてモダンでクラフテッドな印象を与えるフォントとしました。
―今回、コンセプトを決定するまでにかなりの時間を要したということですが、どのような試行錯誤があったのでしょうか?
大石
コミュニケーション領域からプロダクトまで、幅広く活用できるオリジナルのフォントをつくるために、Hondaはどういうところを目指すのか、しっかりとコンセプトを立てる必要がありました。機能性といっても様々な観点がありますから「Hondaが求める機能性とはなんだろう?」などと、チーム内でもかなり議論しましたね。
大石
プロダクトにもコミュニケーションにも使えるフォントを開発するうえで、機能を追求すればするほど機械的に、個性を強くするほど機能面が弱くなる。そのちょうどいいバランスをHondaの水準で追求するのは難しくもあり、楽しい挑戦でした。
―ベースとなるモリサワフォントは、欧文は「Clarimo UD PE」、和文は「あおとゴシック」が選ばれています。どのような観点で選定したのでしょうか?
大石
欧文は長文でも読みやすく、多言語展開が可能な汎用性の高いフォントであるかが選定のポイントでした。和文はユニバーサルデザインの要素がやや強い「TBUDゴシック」とも迷いましたが、最終的に手描きのニュアンスが残り自然な印象の「あおとゴシック」を選びました。
Hondaらしい「味」を込めた、欧文・和文のフォントデザイン
たった一つの数字でも多数のパターンで議論
―Hondaらしい機能と個性を出すため、どんな点にこだわりましたか?
樽野
欧文は「Clarimo UD PE」の良さを活かしつつ、「O」の字で示されたようなハリを出していくという方針でデザインしていきました。
鳥海
特に数字の「6」と「9」は面白かったですね。メーター表示に落とし込んだ形にプリントしたものを壁に貼り、みんなで視認性を検証して決めていきました。
樽野
アルファベットはスクエアなスタイルでデザインしていますが、数字はアルファベットの持つ雰囲気も残しつつ、少しジオメトリックな要素も持ち合わせるスタイルでデザインしています。数字はメーターで表示される時に圧倒的な意味を持ちますから、最後までこだわりました。
形を決めるため何度も試作し、巻き込みのカーブや上端のカットを変えた9パターンを提案しました。最終的に最も巻き込みが少なくカット処理がない(D)案が選ばれ、ここにも感性やこだわりを感じましたね。
樽野
数字と同じく最後までこだわったのが、アルファベットの小文字の「l」(エル)です。大文字の「I」(アイ)と区別をつけたいところですが、非常にシンプルな形なので、できることはあまり多くありません。やりすぎると書体としてのバランスも崩れていってしまう。そこで、下の部分を少し曲げて区別化しつつも、文章を組んだ時にできるだけじゃまにならない程度を狙ってデザインしました。
大石
印象の薄い小文字の「l」にやわらかくも力強い印象が出たので、使うたびに「Hondaのコーポレートフォントを使っている」という感覚が得られるのではないかと思います。そのほか「M」の中央を上げるなど、全体的に重すぎずシャープな形にしていただきました。
―和文フォントはどのような点を意識していますか?
鳥海
ベースフォントの「あおとゴシック」は、文字がちょっと小さめで、一行あたりの文字数が多い長文だと読みやすいのですが、短文をメーターの中で表示させようとすると、パラパラした印象が目立つんです。そこで漢字をほんの少しだけ拡大し、調整していきました。
本間
和文フォントの制作では、Modern &
Craftedのちょうどよいバランスを追求しました。文字のデザインを考える際、安定感を重視すると全体的に幾何学的で四角いプロポーションになりがちです。一方で、手書きらしさを重視すると、サイズやバランスに変化が生まれ、リズム感のある表情になります。読みやすさと安定感を持ちつつも、人間味を感じられる絶妙なバランスを目指して、検討を重ねました。
大石
和文の制作を進めていた当時、欧文はデザインの最終段階にきていて、それなりに味付けのこもったものに仕上がりつつあったんですよね。もちろんその時点の和文の提案は、機能性を満たしていたし、混植した時も欧文の要素に合っていた。それなのに、なんだかすごくさっぱりして見えて。もうひと工夫欲しいとなり、人が書いた時の勢いを感じる形を組み合わせようとなりました。
本間
そこで、横向きのストロークを若干右上がりにし、カーブに緊張感を持たせました。線にも抑揚をつけ、手描きをした時に力がかかるポイントを太くしてあげることで、人間らしさやクラフト感を出すことができたと思います。
鳥海
私はよく「筆で描くとこうなる」という話をするけれど、「鉄板を曲げるとこうなる」という話はとても勉強になりました。これがクルマの会社のデザイナーの視点かと驚きつつ、おもしろさを感じましたね。
まるで「米」のように、フォントを通して同じ釜の飯を食う
日々醸成されるブランドへの共通認識
―欧文と和文のフォントは、国内での使用が開始されています。2025年5月にはHonda Global Fontが社員全員のPCに一斉インストールされました。このことで、インナーブランディングにどのような効果があると考えますか?
大石
このフォントを選んでおけば間違いないという利便性はもちろんですが、日常的に使う文字にもHondaらしさや意思が込められていることを実感してもらうことで、ブランドへの共通認識をつくっていくことができると考えています。一人ひとりが作成する資料などにも使っていただき、ブランド品質向上の効果を感じていただけたら。
樽野
日常で使う文字というのは、ふだんはあまり目立たない存在で、意識する機会が少ないと思いますが、Hondaで働く皆さんが「Honda Global
Font」を使っていくことで、少しでもデザインや文字に対する興味関心が生まれたらうれしいです。将来的に、皆さんの共通言語のような存在になっていくことを願っています。
本間
私が担当した和文フォントは、日本語を使う様々な場面でのコミュニケーションや、商品への搭載に活用されるとうかがっています。将来的にクルマへの搭載もありうるとのことで、フォントがそのクルマのコンセプトを表現する「声」としてお役に立てるなら、たいへんうれしく思います。
鳥海
「Honda Global
Font」は働いている皆さんにとっての「米」じゃないかと思うんです。苦楽を共にするという意味で「同じ釜の飯を食う」という言葉がありますが、いろんな部署の人たちが同じフォントを使うことは、それと同じような意味を持つのではないでしょうか。それと、書体は文化ですから「Honda
Global Font」を基盤として、今後も環境に沿うように改良を重ねながら、育んでいってほしいと思います。
Profiles

大石るみえ
コミュニケーションデザイナー

樽野さくら
タイプデザイナー(株式会社モリサワ)

本間由夏
タイプデザイナー(株式会社モリサワ)

鳥海修
書体設計士(有限会社字游工房)