RA271&RA302
独創が光ったHondaのアイデア
© HRCHonda RA271
自由な発想で世界を驚かせたHonda F1
F1グランプリはレーシングドライバー世界一決定戦であるとともに、自動車技術者たちの、自由でロマンチックで、過激な技術競争のワールドチャンピオンシップという側面も持つ。その75年間の歴史に登場してきたF1マシンのスタイルは、現在のハイブリッド・パワーユニット時代と同様に、技術者たちの独創的なアイデアが詰め込まれている。
自動車レースの歴史が始まった19世紀末には「引力運動機関」や「水力モーター」といった奇々怪々な原動機のレーシングカーがレースにエントリーしてきたが、それらがパドックに姿を見せることはなかった。しかし技術者の夢が、これほどまでに自由でロマンチックであることは、人間という動物の特性のひとつだと断言できる。だから現人類は紆余曲折しながらも科学技術を発展させてきた。
翻ってF1グランプリに登場してきた独創的なエンジンをいくつか並べると、1950年のアルファロメオ製1.5ℓ直列8気筒、1962年ポルシェ製1.5ℓ水平対向8気筒、1966年BRM製3ℓH型16気筒、1971年ロータス56Bプラット&ホイットニー製ガスタービンエンジン、1990年のライフF35の3.5ℓ4気筒3列のW型12気筒といったところだろう。F1世界選手権制定以前のグランプリシーンには、アウトウニオン製6ℓV16気筒というモンスターエンジンもあった。
そのような突出した技術スタイルは、原動機だけではなく車体にも当然あった。1971年のロータス63・フォードは四輪駆動だったし、1976年のティレルP34・フォードはフロント操舵輪が4輪でリヤ2輪という6輪車だった。ティレルP34については1977年までフルシーズン参戦を果たし、1976年スウェーデンGPで1-2フィニッシュを記録して、その後ちょっとした6輪F1開発ブームを巻き起こしていた。
© HRCRA271
1.5ℓの小排気量でV12、しかも横置きのRA271
こうしたF1エンジニアたちの創意工夫の歴史に、第1期Honda F1の技術者たちも勇ましく登場する。1964年8月のドイツGPでHondaがRA271を投入しF1グランプリにデビューした時、全世界のファンは初めてミッドシップ横置きエンジンのF1マシンを見た。それまでF1のミッドシップレイアウトといえばエンジンの縦置きがスタンダードで、横置きレイアウトのF1マシンなど存在しなかったからである。そして同時にもうひとつ、それまでのF1グランプリの歴史に存在しなかったものを、全世界が目撃した。1.5ℓV型12気筒エンジンであるHonda RA271Eだ。1961年から始まった1.5ℓエンジンの時代は、直列4気筒からV型の6気筒や8気筒あるいは水平対向の6気筒や8気筒といったエンジンで争われていて、マルチシリンダーの最高峰であるV型12気筒をあえて実戦投入するマニュファクチャラーがいなかった。これもまた世界初で、斬新な横置きレイアウトも憧憬のV12エンジンも、着想したのはHonda創業社長の本田宗一郎であった。
1961年にオートバイ世界選手権の125ccと250ccを横置きマルチリンダーエンジンで制覇した本田宗一郎にしてみれば、当然のことながらF1も横置きレイアウトとするのは朝飯前のチャレンジ精神である。そのアイデアを現実のメカニズムに仕上げなければならない現場の技術者たちは、勇猛果敢に働いた。初めて設計製造するF1マシンだが、やってやれない仕事ではない。彼らにはオートバイ世界選手権で勝ちまくり、世界一の二輪メーカーに成長したという技術と歴史があったからこそだ。
しかし、造形美や速く走りやすい性能といった技術数字が開発の推進力になりにくい分野は、エンジニアを大いに悩ませた。V12エンジンを横置きするとなると、いくらエンジン単体をコンパクトに設計しても当然縦置きレイアウトより横幅が広くなる。そのスマートとは言いがたい横幅の広さを、いかにもカッコいい速そうなボディに造形するかというのは技術というよりアートの分野だ。速く走りやすい性能、つまりスーパースポーツマシンの開発は、F1マシンの運転経験が豊富なテストドライバーが日本にひとりもいなかった時代なのだから、手探り同然の研究開発になった。これらの壮大な技術開発を成し遂げて史上初の横置きV12のRA271をレース現場へ送り込んだHondaの技術者たちは、レース現場では整備性の悪さに悩まされた。
「靴べらエンジン」というニックネームを、現場の技術者たちはRA271Eにつけた。窮屈な靴に靴べらで無理やり足を押し込んだようなエンジンという意味である。オーソドックスな縦置きエンジンのマシンであれば1時間もかからないような、ささいな点検整備に徹夜の作業を必要とした。
© HRCだがそれでもRA271の直系となるRA272ではレース戦略を練り上げ、運を味方にして、実力を発揮した時に優勝している。現場の技術者たちの努力は報われたのである。
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© HRCHonda空冷路線で開発、RA302
しかし超人的な技術哲学を真髄とする本田宗一郎でも、次に突貫した3ℓ自然空冷V8エンジン搭載のF1マシンHonda RA302の開発については見果てぬ夢となった。1967年に突如として空冷エンジン万能説を唱え始めた本田宗一郎は、市販する四輪量産車にすべて自然空冷エンジンを搭載すると宣言し、当然の帰結としてF1マシンでも自然空冷エンジンの開発を実行した。当時のHonda技術開発陣は見事だったとしか言いようがない。彼らは1968年当時のF1規定に適合した自然空冷V8エンジンを搭載したRA302を生み出し、走らせたのである。
© HRCしかもRA302の車体は、10年先を見通した近未来のF1マシンを想定して設計されていた。フロントノーズからラジエターが消え、ウエッジシェイプを実現したその先見性は確かなもので、その後10年をかけてF1のスタンダードとなっていく。RA302を表現する、空前絶後とか前代未聞という言葉は決して大袈裟ではなく、まさしくそれらの言葉にふさわしいと断言できるF1マシンであった。
© Alamyしかしながら自然空冷V8エンジンはオーバーヒートの問題を解決することができなかった。当時からイギリス・シルバーストンは平均速度200km/h近い超高速コースであったが、初めてテスト走行をしたRA302は数ラップするだけでオーバーヒートし、10周連続で走ることすらできなかった。それでも1968年7月のフランスGP(ルーアン)にエントリーされ、予選は実質上の最後尾で、決勝レースでは2周目にコースアウトしてクラッシュするという結末に終わった。
改良型のRA302は2カ月後のイタリアGP予選に出走したが、やはりオーバーヒートのために決勝レースを欠場した。結局のところRA302は、レースで完走することなく表舞台から姿を消した。
現在、RA302はHondaコレクションホールに展示されている。すこぶる美しいフォルムは60年が過ぎようとしているのに少しも色褪せていない。もし自然空冷V8エンジンのオーバーヒート対策が実現していたら、輝かしい戦績を挙げるF1マシンになったであろうという夢を、今もファンに見せてくれる。それほどまでに RA302は魅力的なF1マシンである。
F1グランプリに集まる人々は、クルマの夢追い人だと言われる。人間とクルマが見せる夢を求めてグランプリサーキットにやってくる。第1期Honda F1の2台の猛烈に独創的なマシンは、1960年代にHondaが見た夢が現在も夢として、そこに存在していることを気づかせてくれる。
心血をそそいで作られたレーシングマシンだけがもつ本物の夢を、この2台が宿しているからだ。
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© HRC左/Honda RA271、右/Honda RA302