CB Stories
プロダクションレースで
勝利するために生まれたレーシングCB
1979年モデルとして欧州市場に投入されたCB900Fは、ロードスポーツファンの高い支持を得ました。そして、RCB1000によるヨーロッパ耐久選手権※での活躍もあり、Hondaのスポーツイメージは高まっていきました。
一方、欧州やオーストラリアでは量産市販車によるプロダクションレースの人気が高まっていました。市場からは、より多くの人たちがレースに出場できる市販車を望む声が大きくなってきました。このような背景から、プロダクションレースで勝利できるポテンシャルをもった量産市販車の開発が1980年1月にスタートしました。
開発チームがベース車として選んだのはCB900Fです。目標としたのはなんと数カ月先の同年9月にフランスで開催されるレースでの勝利。数カ月という異例の短期間での開発に挑戦したのでした。
※ヨーロッパ耐久選手権は、1980年から世界耐久選手権に移行した

CB1100Rのレンダリング
デザイナーは、何処に乗っていっても誇ることができる世界一のバイクをイメージした
車体のディメンションについては、前年1979年に鈴鹿8時間耐久レースにCB900F改で出場し3位に入賞した本田技術研究所の社内チームであるブルーヘルメットMSCのマシンから流用。このマシンは、耐久レース用にフレームを改造し好成績を挙げていました。
エンジンは、高出力化と耐久信頼性の両立を目指し、ストロークはそのままにボアを拡大して1062ccまで排気量を大きくしました。
耐久レースにも出場できるよう、燃料タンクは大容量の26リットルに設定。軽量化のために素材はスチールではなく、あえて加工が難しいアルミ製に挑戦して実現しました。
短期間での開発が無事に完了し、静岡県にある浜松製作所で生産が開始されたのは、1980年の8月でした。
当初の目標である9月のフランスでのレースに出場するためには、それまでにフランス国内で200台を販売しなければならない規則がありました。結局これは達成不可能な状況になりました。なぜならCB1100Rは、プロダクションレースで勝つためのマシンという性格から、アルミ製タンクなど手作りに近い専用設計が多くありました。それらを数カ月という開発期間で生産までこぎつける事には限界があったのです。そこで同年10月にオーストラリアで開催されるプロダクションレース、カストロール6時間耐久レースに焦点を絞りました。
CB1100Rはデビュー戦となった同レースで見事優勝し、ポテンシャルの高さを証明したのです。

1981年 CB1100R(欧州仕様)
CB1100Rは、レースに出場するベースマシンという役割が大きくフィーチャーされていますが、公道走行での快適性も考慮しハーフフェアリングを装着。また、ハンドルの高さを調整できる機構も採用しました。
1981年型のCB1100Rは、プロダクションレースのベース車という性格から、1050台の限定生産でした。しかしながら、お客様から強い要望があり次年度の生産が実現しました。レース出場に限らず、スポーツ走行やワインディングを楽しむための特別な1台として求めるお客様が多くいたのです。
1982年モデルは、プロダクションレースベース車としてのポテンシャルをさらに高めました。フロントホイールを19インチから18インチに変更し新形状のコムスターホイールを採用。そして空力特性に優れたフルフェアリングを装着しました。エンジンの最高出力も向上するなど、各部の刷新を図りました。
なお、ユーザーの要望に応えてタンデム走行に対応したステップとシートを装備。そして脱着式でスタイリッシュなシングルシートカウルを採用しました。生産台数は1500台の限定となりました。

1982年 CB1100R

1982年 ル・マン24時間耐久レースより
RCB1000の後継RS1000(レース専用車)の後方を走行する2台のCB1100R
1983年モデルは、CB1100Rの最終型になりました。リアスイングアームをこれまでのパイプから角型の形状に変更したほか、各部の熟成を図りました。

1983年 CB1100R
CB1100Rは、プロダクションレースで勝利できるポテンシャルを有した量産市販車としての役割を終えましたが、レッドとホワイトのツートーンカラーは、その後のCBにも大きな影響を与えました。
1992年に登場したCB1000 SUPER FOURに採用されたカラーリングは、まさにCB1100Rのイメージを継承したもので、多くのCBファンに感動を与えるとともに、CBシリーズの代表的なカラーリングになったのです。

1992年 CB1000 SUPER FOUR(日本仕様)
※1983年 CB1100R