CB Stories

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1974ドリームCB400 FOUR

先進の集合排気システムを採用した
スタイリッシュなスーパースポーツ

先進の集合排気システムを採用したスタイリッシュなスーパースポーツ

Hondaの4気筒シリーズは、1972年に発売したドリームCB350 FOURによって3台のラインナップが完成しました。しかしながら、ドリームCB350 FOURは計画どおりの販売には至りませんでした。350ccの排気量では、十分なパワーを発揮できなかったことや、おとなしい印象のスタイリングなどが要因でした。

しかしながら、中型クラスで取り回しやすいサイズの4気筒マシンの需要は高く市場に求められているはずというのが、開発陣の考えでした。
このような背景から、CB350 FOURをベースにスポーツ性に富んだ若者向けのロードスポーツの開発がスタートしたのです。

排気量は、力強い出力特性を実現するために400ccに設定。そのうえでデザインについてはいくつかの方向性が決定されました。

  • ・全体のムードは、これまでの4気筒シリーズにはない、シンプルなデザインとしながらも、その中で走りに徹したスプリンターのイメージを表現すること
  • ・外観は、タンクからシートへのスリムな流れるラインを強調したレーシーなデザインであること
  • ・4気筒エンジンの迫力をさらに魅力的なものに見せる新しい排気系のデザインであること

開発チームは、これらの課題に取り組みながら、4気筒エンジン車にとってはもっとも困難なコストダウンにつながるアイデアも求められたのです。

CB400FOURの開発中のデザイン変遷

初期のレンダリング 1960年代のグランプリマシンを彷彿させるロングタンクにショートシートの組み合わせ
後期のレンダリング 集合マフラーの採用など完成車に近いスタイリング
(左)開発中のクレイモデル (右)ベースとなったCB350 FOUR
開発中の写真 ハーフカウルの装着も検討されていた
ブラック塗装のエキゾーストパイプとマフラーも検討されていた

初期のレンダリング
1960年代のグランプリマシンを彷彿させるロングタンクにショートシートの組み合わせ

後期のレンダリング
集合マフラーの採用など完成車に近いスタイリング

(左)開発中のクレイモデル (右)ベースとなったCB350 FOUR

開発中の写真 ハーフカウルの装着も検討されていた

ブラック塗装のエキゾーストパイプとマフラーも検討されていた

ドリームCB400 FOURは、4本のエキゾーストパイプを1本のマフラーに集合させた4 into 1システムをHonda二輪車として初めて採用しました。このシステムは、排気効率向上の他に、徹底した軽量化とコストダウンの方針から導き出されたアイデアでもありました。

こうして1974年12月、CB350 FOURをベースとしながら、まったく新しいスタイリッシュなロードスポーツとしてドリームCB400 FOURが誕生しました。

1974年 ドリームCB400 FOUR

1974年 ドリームCB400 FOUR

左側にはマフラーが無いシンプルなスタイリング

左側にはマフラーが無いシンプルなスタイリング

PR用の写真は、4 into 1システムを強調

PR用の写真は、4 into 1システムを強調

当時のカタログ キャッチコピー「おお400。」「おまえは風だ。」は、二輪ファンに強烈な印象を与えた
当時のカタログ
当時のカタログ 4 into 1システムのメカニズムと機能美を訴求し、新たなロードスポーツの方向性を提示
当時のカタログ 4 into 1システムのメカニズムと機能美を訴求し、新たなロードスポーツの方向性を提示
時のカタログリンクを介したシフトペダルの配置などを語り合うライダーたちのカットを掲載。スポーティーなライディングに適したバックステップなどスポーツファンを魅了する機構が多く採用された

当時のカタログ
キャッチコピー「おお400。」「おまえは風だ。」は、二輪ファンに強烈な印象を与えた

当時のカタログ

当時のカタログ
4 into 1システムのメカニズムと機能美を訴求し、新たなロードスポーツの方向性を提示

当時のカタログ
4 into 1システムのメカニズムと機能美を訴求し、新たなロードスポーツの方向性を提示

当時のカタログ リンクを介したシフトペダルの配置などを語り合うライダーたちのカットを掲載。スポーティーなライディングに適したバックステップなどスポーツファンを魅了する機構が多く採用された

ドリームCB400 FOURは、発売されると開発陣の思惑通り若い人たちを中心に高い支持を得ました。
カフェレーサーを彷彿させるスタイリングはもとより、最高出力がCB350 FOURの34PS/9,500rpmから37PS/8,500rpmへと向上したことで実現した力強い走り、またスポーティーな走行に適した6速ミッションなどが若者たちに評価されたのです。

ところが、好調と見えたドリーム CB400 FOURの行く末が案じられる出来事が起きました。発売直後の1975年に突如日本の二輪免許制度が変更されたのです。

変更された制度下では、免許が400ccの排気量で区分けされました。400ccを超える車両には自動二輪免許が、400cc以下の車両には新設された中型自動二輪免許(現普通自動二輪免許)が必要になったのです。

CB400 FOURの正確な排気量は408ccのため、乗るためには自動二輪免許が必要となりました。当時新たに自動二輪免許を取得するためには、指定教習所で学ぶ機会が無かったため、独学で技能を身に付けなければなりません。そのために合格率はとても低いものでした。

一方中型自動二輪免許は、指定教習所で実技講習を受けることができました。こうした日本の制度変更によって発生した市場変化によって、Hondaは、急遽400cc以下の車両を開発しなければならない状況になったのです。

免許制度変更からたった1年後、Hondaは1976年3月に排気量398ccのドリームCB400 FOURの発売をスタートさせました。変更したのは排気量だけではありません。ハンドル形状により2タイプを用意するなど、ユーザーニーズに応えるとともに、408ccモデルと価格は同額の327,000円に設定しました。

1976年3月 ドリームCB400 FOUR-Ⅰ (セミフラット・ハンドル)

1976年3月 ドリームCB400 FOUR-Ⅰ (セミフラット・ハンドル)

1976年3月 ドリームCB400 FOUR-Ⅱ (スタンダード・ハンドル)

1976年3月 ドリームCB400 FOUR-Ⅱ (スタンダード・ハンドル)

海外向けには408ccモデルを、日本においては408ccモデルと398ccモデルそれぞれを販売することになりました。
開発チームが徹底的なコストダウンを行いましたが、営業的には厳しい状況に置かれました。その結果、1977年モデルが最終モデルになりました。

1977年型モデル CB400 FOUR (デザイン室における最終検討モデル アメリカ仕様)

1977年型モデル CB400 FOUR (デザイン室における最終検討モデル アメリカ仕様)
※量産モデルと一部部品が異なる場合があります

ドリームCB400 FOURは、高い人気を誇りながらも約3年間の販売で終わることになりましたが、時代に先駆けたカフェレーサースタイルや4 into 1システムは、その後のHonda車に継承されるとともに、他社のロードスポーツにも大きな影響を与えました。

※1974年 ドリームCB400 FOURの映像です