CB Stories

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1969ドリームCB750 FOUR

世界一を目指したモーターサイクル

世界一を目指したモーターサイクル

1965年に発売したドリームCB450は、Hondaの最大排気量を誇りましたが、主要市場のアメリカでは販売が伸び悩んでいました。この販売不振の原因を探るため、1967年の秋に、本田技術研究所のメンバーが市場調査のために渡米、アメリカンホンダのメンバーと打開策について検討する場を設けました。

そこでアメリカンホンダが要望したのは、排気量750ccの4気筒エンジンで、キャブレターは4個、マフラーは4本というもの。そして最高速度を200km/hに、0→400mの加速は13.2秒の性能をもたせるようにという、当時としてはあまりにハイレベルなリクエストでした。

この要望を受けて、日本に戻ったメンバーが1968年2月に本格的な設計に着手。アメリカの人びとが好むダイナミックな車格と大排気量によって生み出される強大なパワーで、余裕のあるライディングを楽しめる世界一のモーターサイクルを目指したのです。

Hondaにとって4ストローク4気筒エンジンは、750ccクラスでは未知の挑戦でした。1966年のロードレース世界選手権の最高峰500ccクラスでメーカーチャンピオンを獲得したRC181で得たノウハウを応用することになりました。

1966年 マン島T.T.レースにて 空冷・4ストローク・DOHC 4気筒のRC181を駆るマイク・ヘイルウッド選手

1966年 マン島T.T.レースにて
空冷・4ストローク・DOHC 4気筒のRC181を駆るマイク・ヘイルウッド選手

既存のタイヤやドライブチェーンでは強大なパワーと高速化を実現するには耐久性に乏しく、新たに開発する必要に迫られました。エンジンはもとより、車体、そしてデザインもこれまでの開発とは次元の異なるチャレンジが求められたのです。

それでも開発者たちは多くのハードルを乗り越えて具現化し、1968年10月、東京モーターショーにプロトタイプのCB750 FOURを出品。量産二輪車として世界初の4ストロークOHC 4気筒750ccエンジンを搭載し、フロントにディスクブレーキを装備した夢のようなロードスポーツマシンが誕生したのです。その堂々たるスタイリングとスペックに、日本はもとより世界中から驚きと称賛の声が上がりました。

1968年 東京モーターショーに出品したプロトタイプ
1968年 東京モーターショーに出品したプロトタイプ

1968年 東京モーターショーに出品したプロトタイプ

1969年4月、CB750 FOURは、アメリカとカナダに輸出を開始しました。本格的に設計に着手してから14カ月後の事でした。同年8月に日本でも発売され、高性能な4気筒エンジンが生み出す余裕のあるパワーフィーリングなどが多くのライダーを瞬く間に魅了しました。CB750 FOURの登場は、2気筒が一般的だったロードスポーツの概念を変えてしまうほどのインパクトを国内外に与えたのです。

1969年 ドリーム CB750 FOUR
1969年 ドリーム CB750 FOUR

1969年 ドリーム CB750 FOUR

1969年 ドリーム CB750 FOUR

空冷・4ストローク・OHC 4気筒750ccのエンジンは、最高出力67PSを8,000回転で発揮した

空冷・4ストローク・OHC 4気筒750ccのエンジンは、最高出力67PSを8,000回転で発揮した

1969年 カタログカットより
1969年 カタログカットより

1969年 カタログカットより

1969年 カタログカットより

高い要求から開発がスタートしたCB750 FOURは、モータースポーツの世界でも高いポテンシャルを発揮しました。日本では、発売直後の1969年8月に鈴鹿サーキットで開催された鈴鹿10時間耐久レースに於いて、本田技術研究所の社員ライダー、隅谷守男選手と菱木哲哉選手組が優勝。

1969年 鈴鹿10時間耐久レース優勝 ライダーは菱木哲哉選手

1969年 鈴鹿10時間耐久レース優勝 ライダーは菱木哲哉選手

翌9月には、フランス最大の耐久レースとして知られるボルドール24時間耐久レースで優勝し、ヨーロッパにおける効果的なPRに寄与することができたのです。そして、CB750 FOURの最大市場であるアメリカでは、1970年3月に開催されたデイトナ200マイルレースでディック・マン選手による優勝を飾りました。

1970年3月 デイトナ200マイルレース優勝 ライダーはディック・マン選手
©八重洲出版

1970年3月 デイトナ200マイルレース優勝 ライダーはディック・マン選手

CB750 FOURは、ツーリングを楽しめるロードスポーツモデルとして販売されましたが、こうして日本、ヨーロッパ、アメリカの著名なレースで速さと耐久信頼性を実証したのです。
高い評価を得たCB750 FOURは、たちまち日本のみならず、欧米でも驚異的ともいえる販売実績を記録するようになりました。
その後、他社からも750ccのロードスポーツが相次いで発売され、市場が形成されていきました。そのはしりとなったCB750 FOURは時代の要請に応えて熟成を重ねながら、所有することの喜びと操ることの喜びを追求し、多くのファンを獲得したのです。

ドリーム CB750 FOUR 主な歴代モデル

1974年 ドリーム CB750 FOUR
1977年 ドリーム CB750 FOUR K 最終モデル
1977年 ドリーム CB750 FOUR Ⅱ<br />4into1の排気システムを採用し、前後ホイールにはHonda独創のコムスターホイールを装着したカフェレーサースタイル。CB750 FOUR Kとともに最終モデルとなった

1974年 ドリーム CB750 FOUR

1977年 ドリーム CB750 FOUR K 最終モデル

1977年 ドリーム CB750 FOUR Ⅱ
4into1の排気システムを採用し、前後ホイールにはHonda独創のコムスターホイールを装着したカフェレーサースタイル。CB750 FOUR Kとともに最終モデルとなった