基本原理が育て上げた世界初の4輪操舵システム
1960年代、科学技術は飛躍的な進歩を遂げた。人々は人類初の月面着陸を果たしたアポロ計画に無限の夢を抱き、地上ではモータリゼーションの興隆に胸を踊らせていた。この時代、技術は輝く未来を約束するものであった。
世界初の舵角応動型4WSを搭載した1987年モデルのプレリュード
しかし、1970年代に入ると、その反動とも言うべき問題が顕在化する。自然環境の悪化、交通渋滞、交通事故の多発、欠陥車事件の発生などである。こうした事態に、人々は危機感を抱き、さまざまな取り組みが展開された。その一つにアメリカ交通安全局(NHTSA…National Highway Traffic Safety Administration)が提唱したESV(Experimental Safety Vehicle…実験安全車)計画があった。
ESV計画とは、増え続ける交通事故に対して、自動車の安全を根本から見直し、事態の改善を図ろうという呼び掛けであった。これに呼応して、世界中の自動車メーカーが参加。ようやく4輪事業が軌道に乗り始めたHondaも準参加という形で、実験安全車の研究に取り組むことになった。
安全の考え方には『衝突安全』と『予防安全』の2通りがある。Hondaでは予防安全という観点から、操縦性や安定性、運動性能といったテーマが取り上げられた。すなわち、障害物を避けやすいことや、すぐに止まれることなどを実現する、機敏な動きができるクルマの研究が進められたのである。この研究活動では、後にパワーステアリングの開発につながるアイデアが生まれたり、ドライバーに遠心力がかからないようにするための油圧式サスペンション装置の開発なども行われた。
しかし、本来の目的である予防安全を実現するためには、もっと本質的に自動車の運動性能を向上させるアイデアが必要であった。そこで1977年の暮れになり、原点に立ち戻って、現行の自動車を基本構造から見直してみようという趣旨の下、ワイガヤが行われた。このワイガヤの中から、後の4WS開発につながるアイデアが生まれることになった。
そもそもHonda車はFF車である。このFF車の場合、前輪に対して後輪の果たす役割は少ない。ステアリングを切る、駆動する、ブレーキについても8割方は前輪が役割を果たしている。これに対して後輪は、真っ直ぐに走るために固定されている程度である。
また、駆動については4輪駆動という概念があり、ブレーキも4輪が使われている。しかし、ステアリングに関しては前輪しか使われていない、と意見が続いた。
「それなら、遊んでいる後輪をステアリングに参加させることができないだろうか」。
これが結論であった。Honda車がFF車であったことも幸いした。もし、このアイデアが実現できれば、きっと運動性能は飛躍的に向上するに違いない。そしてその可能性は、スタッフたちのチャレンジングスピリットをかき立てるに十分なものであった。