Hondaの4輪進出への道をつくったクルマ
『4人乗り、時速100km、価格15万円』。これは、1955年5月に通産省から発表された国民車育成要綱(通称、国民車構想)であり、各メーカーの4輪乗用車生産の技術的目標となった。同構想に合わせ、軽乗用車・スズライト(1955年10月)、スバル360(1958年3月)などが、相次いで発表された。
建設途中の鈴鹿サーキットで開催された第11回全国ホンダ会総会で、初めてベールを脱いだSPORTS 360(1962年6月5日)
当然、Hondaに対する4輪進出の期待も大きかったが、本田宗一郎は、
「自動車は十二分の検討をし、性能においても、設備の点においても、あらゆる点で絶対の自信と納得を得るまで商品化を急ぐべきではない」
という信念を、1959年12月発行のホンダ社報50号で述べている。